平野聡先生に会う

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北海道大学には季節外れの「雪虫」が飛んでいた。雪虫とはアブラムシの一種らしい。羽が白く、一見して雪が舞っているように見えるから雪虫。ただ実際に目にすると、その飛び方はあまり雪っぽくはなくて、まあ、羽虫なのだ。

毎年、秋の深まったころにどこかからか大量に飛来して、自転車で走る北大生の服や髪に大量にひっつき、口の中に飛び込んだりもする。迷惑だよね。もうそんな季節か。また長い冬が来るね。あまり歓迎されないほうの風物詩。

「雪虫が飛び、消えて、1週間くらい経つと初雪が降る」という話を、札幌に住む人なら一度は聞いたことがあるだろう。雪に似ている虫が、雪の訪れを告げるから、雪虫。「由来」というものは、往々にして、ダブルミーニングだ。

そんな雪虫が飛んでいた。5月中旬の札幌である。私は少し驚いた。編集者のスーツにも少し雪虫がひっついているようだった。彼に私のスーツの虫を払ってもらってから、医学部のエントランスに入り、守衛さんに用件を告げた。

今日会うのは外科医。がんを切る外科医。

子供心に医者とはだいたいこんな感じ、と想像していたまんまのキャラクタが、がんを切る外科医には多い。

平野先生はまさに私がかつてイメージしていたままの医者だ。そのものずばりの教授だ。

平野先生へのインタビューの内容はぜひ書籍で読んでほしい。がん医療に対して私が持っていた印象を、より強め、より細やかにするような話であった。これこそが医師のナラティブだ。それも、これまで無数の患者の話を聞いてきた医師にだけ言える、一方的ではない、「共に何かをしようとする人」のナラティブなのだ。

だからここでは、本筋と関係ない話を、ひとつだけ。

私はインタビューの最後に、彼にどうしても聞きたいことができた。予定にはない質問だった。平野先生の来し方・行く末の話をうかがっていくうちに、彼にも私の師のひとりになってほしいという欲が首をもたげた。私はそれを押さえつけられなかった。

医学生に対して何かひとことください、のあとに、思わずこう尋ねた。

「私は今年47歳になります。平野先生から見て、私世代の中堅医師に、というか私に、もっとこうやれとか、ここはこうしたほうがいいという、アドバイスをいただけませんか」

すると彼はその日一番の笑顔を見せながら答えた。

「情熱を――、」

平野先生は私のことをそんなによくご存知ないはずだった。しかし、私が、少しずつ何かにしらけはじめていることを、悟られていたのだろうと思う。私は頭を下げて、ミドルエイジ・クライシスがどうとか言って弱っている場合じゃないですね、と述べた。次の瞬間彼はやさしい声になって、「私たちもクライシスだからさ」と、患者によりそうように、私との距離を調整した。

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