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築地市場はもうない。しかし、まわりは観光客であふれていた。場外の飲食店は相変わらず流行っているようだ。
「この出張」のたびに顔を合わせるようになったカメラマンと、このあたりで飯を食ったことが「ない」という話で盛り上がる。このへん、しょっちゅう通っていましたけれどね。いっしょです。ぜんぜんご飯食べに行ったことがないんですよ。ああ、いっしょですいっしょです。
18年前、私は毎日この場所に通っていたのに、ついぞ、市場の中でもへりでも、ご飯を食べることがなかった。人に言うと「もったいないね」「行けばよかったのに」と言われる。でも、まあ、私はそれでよかった。あの頃の思い出はもっぱらデスクにある。私はこの巨大な病院の「7階病理」で、毎日、学問の高みを見せつけられて毎日途方に暮れていた。2007年のことである。
その、前年。
「がん対策基本法、平成18年法律第98号」が施行され、国立がんセンターは「がん対策情報センター」を設置。患者、家族、市民のためのがんの情報をつくり、届けるという目的のために、がん情報サービスなるホームページが設立された。
放射線科医であった若尾先生は、放射線画像情報の統合を行っていた縁で、その頃ちょうど、がん情報サービスに専任するようになった。以来、国民のためのがん情報を統括する場所で、ずっと働かれている。そのアンテナはとても高くて広い。
時代は進んで2019年。
私は、山本健人、堀向健太、大塚篤司、大須賀覚といった医師・研究者に加え、たらればさん(犬)、水野梓さん(朝日新聞ウィズニュース)、朽木誠一郎さん(当時はバズフィードジャパン)などを招いて、医療情報にかんする啓発イベントを作った。

このとき、会場に見に来てくださった方々には今でもたまに会う。NHKディレクター、TV東京ディレクター、毎日新聞記者など、メディアの方がたくさんいた。そして、そこに混じって、若尾文彦先生がいた。
私はおどろいた。
医師主導イベントとはいえ、たくさんの人々の手を借りてかなり大規模に開催したとはいえ、所詮は個人運営に毛の生えた程度の、民間のいちイベントである。それを、国立がん研究センターの情報のトップが見に来ていたということに私は驚愕した。雨後の筍のように乱立していたSNS経由のイベントをかたっぱしからチェックしていなければそんなことは不可能だ。どれだけ広く見ているのだろうと舌を巻いた。
公的機関に、情報を本気でなんとかしようと思って、取り組み続けている人がいるのだということを、私はそのとき、はじめて知った。
さて、2025年。「がんユニ」。
私は、それぞれ、てんでばらばらの場所に立って、がんを眼差している人々にひとりずつ話を聞くことになった。
人選のめやすは。だいたい、以下のようなもの。
トップランナーであること。立ち位置が私と違うこと。ずっと考えていること。ずっと歩いていること。
だいたい15人くらいに話を聞こうと思った。人選をはじめる前に、若尾先生に話を聞くことは、もう決まっていた。
彼はそれくらい、ずっと考えていて、ずっと歩いている、トップランナーだ。