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早朝の高速道路を制限速度より10キロ遅いくらいでゆっくり走る。手袋の中がいつまでも冷たい。太陽の位置が低くて顔の下半分がとろ火で焼かれているのに車内の温度はなかなか上がらない。新千歳空港の駐車場に車を停め、ロビーに入るまでのわずかな時間に私は2センチほど縮んだ。
うとうとしている間に離陸・着陸。空港内で軽食をとり、電車を乗り継いで、ホームを出ると途端に春だ。マフラーも手袋も要らない。距離を肌で感じる。
がんユニ、通算八人目のインタビュイーは尾阪先生だ。つい最近職場を移られたばかりで、お忙しい中のお願いとなってしまい恐縮する。聖路加ですか! えっ、部長! 事前に調べておけばよいことを調べずに来てしまった。めんぼくない。記者失格である。記者じゃないにしても。
Zoomでは何度もお顔を拝見していたが、実際にお目にかかったことは一度しかない。うそのない笑顔にたじろぐ。ご一緒に写真撮影。カメラマンに、アゴの角度を何度も直される。被写失格である。
尾阪先生とは、とあるプロジェクトで知り合った。今ほどAIが市民権を得ていなかったときに着想されたそのプロジェクトは、幾度ものオンライン会議、オンサイトでの検討を経て、多くの専門家を巻き込んで雪だるま式に大きくなっていったが、第3コーナーあたりで生成AIに大外一気に追い抜かれて頓挫した。私は、そのときの経験をいくつかの学会の広報委員会や教育委員会にフィードバックしつつ、尾阪先生を含めた幾人かの医師と細い紐帯を握り合うことにした。めったに連絡を取ることはなかった。しかし、いつか、「あのプロジェクトの続き」をどこかで話せたらいいなというおぼろげな夢を見ていた。
がんユニにはたくさんの「立場」が必要だ。がんというものを中心に置いてはたらく人だけではなく、あるいは縁辺に、あるいは埒外に置いてはたらく人にも話を聞きたい。がんとの距離が近い人にも遠い人にもその感覚を話してもらいたい。
尾阪先生が日々接しておられる患者のほとんどは、がん。尾阪先生とがんの距離はとても近い。しかし、尾阪先生の目線はがんそのものではなく、人の時間のほうを向いていた。
限られた時間にたくさんのことをたずねた。
そして、私もまたたずねられた。聞き手に徹したいという思いとは別の場所から、この人に話を聞いてほしいという欲望のようなものが湧いてくる。その感情にふたをしたままでインタビューを進めるノウハウを私は持ち合わせなかった。
この日私が考えていたことの多くは、尾阪先生がおっしゃっていた「そこにいられることがすばらしいと思う」という一言に、あるいは集約していくのかもしれない。私はインタビュアーとして黒子になれず、ただ、その日そこに居合わせたことを自ら言祝ぐだけのつくづく利己的な相づちの大きい過去に引きずられている腰に爆弾を抱えたひとりの幸せな現在形の医師で未来の患者であった。