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顕微鏡で細胞をみるとき、ぼくら病理医は基本的にH&E染色(ヘマトキシリン&エオジン染色)というものを使って細胞を染め上げる。核を青紫色に、細胞質をピンクがかった赤紫に染めることで、細胞の挙動(とぼくらが思っているもの)がかなりよくわかる。しかし、染めているということはつまり、恣意的なのだ。体の中の細胞が実際にそういう色をしているわけではなくて、あくまでこちらの都合でいろいろと強調して見させれもらっているということなのだ。だから、染色法を変えると、細胞の見方は変わる。H&E染色ではよくわからない情報も得られることがある。
「どの細胞に」「どの染色をかますと」「どういう情報が得られるか」、これらの組み合わせは膨大だ。でも、なんとなく、H&E染色が一番目に馴染むので、ぼくらはルーティンではH&E染色を用いる。世界中の病理医、どころか、世界中の細胞研究者、いやいやもっとだな、世界中の医療関係者が、細胞といえばH&E染色というフィルターを通して情報を得ているのである。
で、AI時代には、この、H&E染色という「条件」を固定する必要は必ずしもない。人間の目にとっては見づらくても、PCが形態情報として識別できればそれは「いい染色」になりうる。だから染色はもっと多様になるのかと思っていた。
でも結局いつまでたってもH&E染色全盛時代は終わらない。まあそうか。いきなりAIに「AI語」で語られても、それを理解できる人間がいないのといっしょだ。AIが細胞のメカニズムを「なんでもわかるようになる」時代が来ても、それを結局「人間に教えてやらないと」仕事としては成り立たない。いや、うーん、いずれは成り立つのかもしれないけれど、たぶんかなり長いこと、「最終的には人間と協力しないとだめよ」という体制は崩れないだろう。となると、共通言語としてのH&E染色を省略することは、この先もできないはずだ。
おそらくこの星ではこれからも、H&E染色が細胞をみる共通言語であり続けるのだろう。ほんとうは、もっといい染色も、あるのかもしれないが、それは「もっといい言語がいずれ現れる」と言っているのとあまり変わらないのかもしれない。