『がんユニ』研究者・高阪先生とのお話。

※毎週火曜日、書籍『がんユニバーシティ』で行ったインタビューの、「編集中の原稿」を全文公開します。書籍版ではここから大幅に編集をし、各先生方からの寄稿をはじめとするたくさんの文章をコラム的に散りばめて、一冊の本にまとめます。このブログでは、インタビュアー(市原)が興奮し続けた「生の雰囲気」、編集前の原稿だけが持つ猛烈な(ちょっと読みづらい?笑)エネルギーを味わっていただきたいと思います。

科目名:       がんと研究―メカニズムの解明,創薬への道のり

講師:           高阪真路 先生(国立がん研究センター中央病院細胞情報学分野)

テーマ:       がん研究の最前線 ~新薬を切り拓く~

学期:           1年前期

Dialogue

<なぜ「がん研究」だったのか>

――読者の方々に,自己紹介をしていただいてもよろしいでしょうか.

はい.私はがんの研究者です.現在は主に「がんゲノミクス」や「トランスレーショナル・リサーチ」といった分野を専門としています.

研究の出発点は病理学の基礎研究で,その後,ニューヨークでのポスドク時代にがんゲノミクスに携わり,日本に帰国後は,その知見をがんゲノム医療やトランスレーショナル・リサーチに応用しています.現在は,これらの研究の一環として,データベースの構築にも取り組んでいます.

――ありがとうございます.では,来歴についておうかがいします.そもそも,研究対象としてなぜ「がん」を選ばれたのでしょうか.

 やはり,がん研究の持つインパクトの大きさが魅力的なのだと思います.学生当時から,感染症や神経疾患にはあまり興味がもてませんでした.その点,がんは非常にわかりやすい題材です.学生から見ても,「なるほど,がんか」ってなりますよね.

ですから「私はがん研究をやりたい」という気持ちがありました.研究でやるのだったら,がんを治したい.進学した研究室もがん研究を専門とする教室でした.

――卒後すぐに大学院に入られたのはなぜでしょうか.

 早く海外に行きたかったからです.

 私は信州大学を卒業しましたが,信大の卒業生の進路は多様で,東京に出る人が3~4割,京都や大阪に出る人が3割,自分の出身地に戻る人が2割,信州に残る人が薬2割と別れています.ばらばらです.進路は自由,みたいにも言えますし,ある意味,選択を迫られる側面もあります.大学の3,4年生ころに何を選ぶかを考える中で,私は「世界を見たい」と思うようになりました.

<世界を見たい>

当時,私は馬術やスノーボードをやっていました.2024年のパリオリンピックでは,馬術の日本代表がメダルを取りましたよね.あの,銅メダルを取られた方のおひとりを,私,知っていたんですよ.その上の世代の,日本代表の選手やコーチもです.

 ――ご存知だったというのは,直接教わったことがあったんですか.

はい.馬術の世界は狭いですから,有名な選手の多くもコーチをしてくださっていました.

スノーボードも同様です.ちょうど私が学生のころ,スノーボードクロスがオリンピック競技に採用され,私が指導を受けていたコーチはクロスのプロ選手で,オリンピックを目指していたり,実際にオリンピックに出場した選手もいました.

周囲には世界で通用する人たちがたくさんいたのです.

でしかし,自分は馬術やスノーボードでオリンピックに行くのは難しいと感じました.そこで,次に自分にできることは何かと考えた結果,「医学の道」だろうと思い至ったのです.

自分が本当にやりたい仕事は何なのか,どうすれば立派な大人になれるのかを悩みながら,決断しました.そうした思いの中で,海外に行くことで何か新しい可能性が開けるのではないかという思いも芽生えました.

当時は,インターネットは普及していたものの,海外でどういう研究が行われているのか,どこが世界の最先端の研究拠点なのかといった情報はまだ限られていました.留学している先生方の情報も,本やブログくらいしかなく,漠然とした海外への憧れを抱いていた時期です.

最初は,病理診断医としてレジデントになることを考えました.医者として海外に出るには,病理の分野が比較的入りやすいのではないかと思ったからです.

そこで,病理を学びながら留学の準備をしたいと思い,北海道大学に進学しました.北海道は雪が降るのもいいな,海外も行けそうだな,みたいに思いながら,自分の将来像を模索していました.

 ――夢の実現のためのソリッドな計画と,ふわっとなんとなく良さそうっていうイメージとの両方があったんですね.

医学部を卒業して1年目で,いきなり縁もゆかりもない北海道の基礎病理の教室に入ったのですが,これは普通の人ならなかなかやらないことで.でも,それが逆に良いと感じていました.

人と同じことをやることに対する「怖さ」みたいなものを漠然と感じていました.

 ――そこは「怖さ」なんですね.

おそらく,人と同じことをやっていては,勝てない,または成功できないと感じていたのでしょうね.

ただ,その後,病理のレジデントとして留学するのはやめて,研究で留学しようと方針を切り替えました.

 ――方針を変えたきっかけは覚えていらっしゃいますか?

病理のレジデントの試験がすごく大変だったということがひとつの理由です.あと,いくつかの施設で病理の見学をさせてもらった際に,日米の病理診断の現場において大きな差はないことに気づきました.

アメリカに行けば何か新しいことや素晴らしい経験ができると思っていたのですけれど,病理の切り出しや診断の流れが日本とほとんど同じで,「あ,やっていることはお一緒だな」と感じたのです.以前憧れていた,いわゆる華やかなアメリカのドクターライフではなかったということも気づきました.

<与えられる立場から切り開く立場へ>

――北大ではどのような研究をなさいましたか.

北大での大学院生時代は,「そもそもがんとは何ぞや」というのを知るところから始まりました.基礎的な知識を学びながら,がんの本質について深く知るステップです.研究室では,与えられたテーマに沿って考え,実験を進め,その中で仮説を立てて検証していくという方法を取ります.当時は,脳腫瘍についてや,がん遺伝子の一つであるRASの研究に取り組んでいました.

 ――そこからニューヨークのスローン(Memorial Sloan Kettering Cancer Center)へ.

スローンにいたのは2年3か月ほどで,短かい期間だったため,旅行に行ったくらいの記憶しかないですけれど.当時は,自分のいる環境と自分自身の能力との間にギャップを感じつつ,あまり深く理解しないまま過ごしていたのかもしれません.日本に帰国してから,その経験が「あのときのあれはこういう意味だったんだ」と振り返って理解できるようになりました.

時はあっという間に過ぎていきましたが,スローンなので,何かしらの論文を発表することができました.ただ,ここで幸運だったというか,気付いたことがありました.マーク・ラダーニ先生のところに1年くらいいたら,それなりに良いジャーナルに論文を出せたけれど,同時に自分の限界もはっきりと理解でいたのです.

――良いジャーナルに出せたのに,限界がわかったんですか?

良いジャーナルと言っても『Nature Genetics』で,『Nature』ではなかったわけです.

 ――十分すごいと思いますが,それが先生のご判断だったんですね.

はい.ここで独立するのは難しいな,と気付きました.

もともと私は,マーク・ラダーニ先生のもとに行くことを足がかりにして,より大きな研究室へ進むことを目標としていました.スローンに1,2年滞在し,論文を発表した後,その成果を持って世界的に有名な研究室に渡り,そこで大きな成功を収めることを,「海外留学の一つの成功例」として考えていたのです.

 ――すごくしっかりしたビジョンじゃないですか.

でも,逆にいうと,当時の私はマークのラボをやや低く評価していたともいえます.

理由は,マークの研究はトランスレーショナル・リサーチであり,病理研究の範囲であるため,『Nature』『Cell』『Science』といったトップジャーナルに論文を出すのは難しいからです.

 ――トランスレーショナル・リサーチについて,もう少し説明してください.

「ある現象をどう応用するか」を追究する学問です.生命科学の基礎的な法則や原理,物質の応用を通じて,医療に役立てることを目的としていますから,ある程度コアな現象や法則が先に発見いる必要があります.つまり,新たな生命現象を発見し,それを論文にするようなトップジャーナル向きの研究ではないのです.それを目的にもしていませんからね.

しかし,私自身,学生の頃は『Nature』『Cell』『Science』に載ることが一番重要な研究だと思い込んでいました.そういう雑誌に掲載される成果を上げられる研究者になりたかった.そのために留学するんだ,みたいな考えがありました.

私がマークのもとにいたとき,そのような成果は出せませんでした.というのも,取り組んでいた研究はそういった雑誌に載るようなタイプのものではなかったからです.そのころの私は,トランスレーショナル・リサーチとは聞こえはいいけれど,要は二流の研究だと思っていた部分もありました.でも…….

 ――でも.

ポスドクの時期は,自分自身で研究テーマを設定できないため,良い研究環境や有名なラボに所属したい,つまり,「良い論文を書きたい」「良いジャーナルに載りたい」ということが主な目標でした.当時は,そういった目標が中心でした.

しかし,どういう研究が優れているか,価値があるかという判断は,最終的には研究者本人が決めることです.そして,「何をしたいか」も,自分自身で見つけ出し,切り開いていくしかないのだと気づきました.

日本に帰って,スタッフとなったとき,これからは自分で研究テーマを決めて研究していいよと言われたとして,さて,自分は何がしたいんだろうと…….

<MSK-IMPACTTMを超えろ>

残り1年だなと思ったタイミングです.論文を書くことも大事だけれど,何か日本に技術を持ち帰りたいなと思いました.技術かコネクションを持って帰国したい.海外じゃないと学べない最先端の技術や,海外の研究者とのコネクションを持って帰って,日本でも国際的な環境を維持したいと思いました.

私にとって,その道は,マークが取り組んでいたがんゲノム医療だったわけです.

 ――なるほど.スローンではがんゲノムパネルを世界に先駆けて開発していたんですね.

はい.スローンのパンフレットみたいなやつが2か月に一度発刊されていたのですが,その中にマークの写真が載っている号がありました.何をしているのか気になって読んでみると,「富豪が100億寄付して新しい部署ができました」みたいなことが書いてある(笑).これからの時代,遺伝子パネル検査で,MSK-IMPACTTMという検査で年間1万人の患者さんのゲノムデータを解析し,cBioPortalを活用して最適な治療法を臨床医と決めていきます,と.何だこれ.わかんないけど,何だかすごいことが起きているぞ,と強く感じたのです.

 ――日本ではまだ多くの研究者がキャッチアップできていなかった頃でしょうか.

そうですね.当時の日本はまだ,がん診療に次世代シークエンサーを実際に使うこと自体が非常に稀で,ほとんど行われていない状況でした.

帰国後,東大で助教になり,東大でもスローンと同じような系を立ち上げようと決めたのが,東大オンコパネル(TOP)プロジェクトです.間野(博行)先生に指導いただき,MSK-IMPACTTMを超える,新たな検査システムの開発を目標に掲げました.

 TOPの開発は私にとって非常に重要なテーマであり,具体的なプロダクトづくりにも深く関わることになりました.

――iPhoneを作った,みたいな話ですね.

はい,iPhoneを勉強して,日本でなにか違うスマホを作った,みたいなものですかね.

――スティーブ・ジョブスは間野先生かもしれませんが,高阪先生はiPhoneを実際に開発したトニー・ファデルだな,と思いました.

アイディアを持って帰ってくるだけだったら結局,だめなんですよね.MSK-IMPACTTMを超えなければ意味がない.

その後,間野先生が国立がん研究センター研究所の所長に就任し,「お前も来るか」って声をかけられ,迷わず「はい!」と答えました.

そこに移ってからは,パネルのさらなる開発や,新しいトランスレーショナルな機能解析法の構築に取り組んでいます.

――機能解析法というのはどんなものでしょうか.

MANO法という手法を開発しています.たとえばEGFRの変異を1,000種類くらい集めて,細胞に導入して,どれにがん化能があるか,そうでないかというのを細胞で一気に評価する手法です.Mixed-all-nominated-in-one法でむりやりMANO法です.自分で考案した手法でしたが,研究費を取りやすくなるかなと思って名付けました(笑).論文にまとめた際には,間野先生に怒られましたけれど.

 ――怒られたんですね(笑).

でも,間野先生も最近は意外に気に入ってくれているんです,新しいMANO法を開発しよう,みたいなことを仰っています.

スローン時代に,がんゲノム医療をやると,よくわからない変異がたくさん出てきたんですよ.たとえば,頭頸部がんの患者さんの腫瘍にEGFRのよくわからない変異が検出され,「これってこの人にEGFR阻害剤が使えるってことだよね?」とマークに尋ねると,「いや,それは違う.EGFRの変異といっても,意味のあるものとそうでないものがあって,これは意味のないタイプだ」と言われたことがありました.それってどうやってわかるの? と思っていた.ゲノム医療が日本で始まったら,それらの変異の意義を正確に判断できるシステムを自分で作ろうと,勝手に心に決めていたのです.

 ――今でこそ,エキスパートパネルなどでpathogenicみたいな言葉が当たり前のように使われるようになりましたが,当時はそういう概念がよくわかっていませんでした.

そうですね.もともと,Pathogenicという評価も,遺伝性疾患の側面で理解されていたものでした.しかし,体細胞変異に対して機能評価を行い,その臨床的意義を判断することについては,十分に理解されていませんでした.さらに,多種多様な変異が現れても,それをどう評価すべきかという明確なルールもなかったのです.

そこで,私はMANO法のような機能解析手法を開発しました.新しい仕組みを生み出すことは,とても楽しかったですね.

<新薬開発の課題>

トランスレーショナル・リサーチは,直面する問題を解決するためのアプローチです.その問題に対してどうやって解決策を見出すか,また既存の技術や知見をどう活用すれば良いかを考えるのは,非常に醍醐味のある作業です.トランスレーショナル・リサーチは,ボトムアップのアプローチでも,トップダウンのアプローチでも進められます.

また,がんセンターにいる以上,新薬開発も重要なテーマです.新薬開発においては,ボトムアップの考え方やアプローチも積極的に取り入れられています.

 ――がんセンターではとても多くのお仕事をなさっていますね.

間野先生に「お前,ついてくるか」って声をかけられたとき,「高阪はがんセンターという環境がフィットすると思う」とおっしゃったんですね.そのとき,私はその意味がわからず,どうしてだろうと考えたのですが,その当時はがんセンターが具体的にどんな仕事をしているのか,あまりよく知らなかったのです.

  ――具体的には,ここはどういうことをなさっている場所ですか?

一番の特徴は臨床試験ですね.ここは臨床試験をとても多く開催している場所です.それって結局は新薬開発っていうことですが,新薬開発ではトランスレーショナル・リサーチがすごく重要です.今にして思えば当然のことですけれども,それまではその重要性に気づいていませんでした.

臨床試験の課題も大分わかりました.それは,「うまくいかないことが多い」ことです.圧倒的に失敗が多く,たくさんの臨床試験が頓挫しています.その理由は,「適切な患者に薬を投与できていない」からだと考えています.良い化合物は多くとも,そのシーズの選び方や適応範囲が間違っていると,成功しません.

抗がん剤の本質的なポイントは,効き目そのものよりも「特異度」にあります.つまり,「がん細胞だけに作用する抗がん剤」が理想です.たとえ効き目が強くなくても,がんに特異的に作用すれば,投与し続けることでがんは消滅します.

一方で,現状では,どんながんにでも使える万能な抗がん剤は存在しません.そのため,「この抗がん剤が有効ながんを見極める」ことが,非常に重要な作業となるわけです.ただ,その絞り込み作業はまだ十分にできておらず,その結果,むやみやたらに臨床試験を行っても成果が出にくいのです.

  ――がんゲノム医療で,エキスパートパネルでもそこをなんとかできないかというのをやっていますが,まだぜんぜん届いていない状態ということでしょうか.

そうですね.新薬開発については,もう少し良いやり方があると思っています.

たとえば2024年に論文化したスプライシング阻害剤とか.

  ――スプライシング阻害剤?

EGFR阻害剤やALK阻害剤は,すでにかなり成熟した治療薬であるといえます.こうした薬は,特定の遺伝子変異に依存してがんの増殖を抑える仕組みで,効き目が明確に証明されています.一方で,「薬の効果が期待できる変異が検出されなかった人」はどうするんだという問題がある.

そのため,今後の薬剤開発においては,全く新しいクラスの薬の創出が大きな挑戦となります.例えば,スプライシング阻害剤や,オラパリブ(PARP阻害剤)などは,その点で非常に新規性が高く,大きな進展といえるでしょう.

 ――ターゲットとなるような遺伝子変異を持っていないがんであっても使える抗がん剤,ということですね.

そうです.そういう全く新しいクラスの抗がん剤の開発が必要,それを切り開くということです.

 ――これまでとまるで違う,新規のメカニズムでがんに効く薬を明らかにするって,ちょっと質問が漠然としすぎているかもしれませんが,どういう研究をすれば明らかになるんでしょうか.

新しい発見は,やはりスクリーニングを徹底的に行わないと見つかりません.多様な候補を広く探索し,未知の現象や新たなターゲットを見出すことが,革新的な研究や治療につながる重要なステップです.

 ――トランスレーショナル・リサーチの鬼の子みたいな印象です.そこでしか見つからない気がしますね.

いやあ,おもしろかったです.他の方にはある程度,事前質問に沿ったことをお伺いするんですが,先生の来歴をお伺いしているだけで時間が過ぎてしまいました.すみません,最後にこの,Q1だけでもお伺いしてよろしいですか.

Q & A

Q1. 高阪先生のご専門と,お仕事の内訳をお教えください.

A1. がん研究をしています.

がん研究                       60%

データベースの構築        40%

――がん研究が6割.こちらの4割のほう,データベースの構築というのはどういうお仕事ですか?

私は研究室の長でもありますが,C-CATの室長でもあって,C-CATの調査結果を作っています.

――えっ,C-CATレポートのあれを作っているのも高阪先生ですか.

ナレッジデータベースを作って,それを基に,バリアントの評価結果や,日本国内の臨床試験との紐づけ,承認薬との紐づけ,論文のエビデンスレベルの紐づけを行うための仕組みを整えています.

――本当にすごいですね.まだまだお話しいただきたいことはたくさんあるんですが……今日はどうもありがとうございました.

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