『がんユニ』病理医・田中先生とのお話。

※毎週火曜日、書籍『がんユニバーシティ』で行ったインタビューの、「編集中の原稿」を全文公開します。書籍版ではここから大幅に編集をし、各先生方からの寄稿をはじめとするたくさんの文章をコラム的に散りばめて、一冊の本にまとめます。このブログでは、インタビュアー(市原)が興奮し続けた「生の雰囲気」、編集前の原稿だけが持つ猛烈な(ちょっと読みづらい?笑)エネルギーを味わっていただきたいと思います。

科目名:          がんとトランスレーショナル・リサーチ

講師:              田中伸哉先生(北海道大学腫瘍病理学)

テーマ:          がんの四次元マップ ~がん研究の歴史とひろがり

学期:              1年前期

Q & A

Q1. 田中教授のご専門と,お仕事の内訳をお教えください.これまでのお仕事の中で,「がん」に関するものはどれくらいありましたか.

A1. 仕事の90%が,がんに関することです.

 市民のみなさまに,「お仕事はなんですか」と尋ねられたときには,「がんの病理診断をやっています」と答えます.あまり自分の仕事の内訳を分類しようと思ったことはないのですが,たぶん,仕事の90%が,がんに関することだと思います.

大学でのほぼすべての講義はがんに近い領域の話です.病理診断の検体もがんが多い.振り返ってみると,「がんに生涯をかけている」と言えるかもしれません.

 かっこつけて言うと……医学部に入学したとき,「最も難しい病気に取り組みたい」と思っていました.自分の力を最大限発揮したい.がんの患者さんのためにというよりは,正直に言えば自分のためです.自分が生涯取り組むものはがんである.医学部に入ったときに強く思いました.それは今でもそうです.あの憎き……難しい病気を解明して,治療してやりたいという気持ちです.

 父は白血病の専門医で,大学で研究をしていました.「白血病の治療をしている内科の医者が,研究もするんだな」ということを,小さい頃から印象深く感じていて,大学入学当初から,がんの診療と研究を両方やりたいと思っていました.

 ただ,大学生のとき先輩たちに「田中君は病理診断医になりたいの,それとも研究者になりたいの?」とよく聞かれましたけれども,いや,ぼくの中では同じだ,切り分けない,と言いたかった.みんな偉い先生なので言わなかったですけれども(笑).自分の中ではどれも同じで,がんに取り組んでいるということ.好きなことをがっつりやっているということです.

Q2. 田中教授にとって,がんに携わるとはどういうイメージでしょうか.これまでのお仕事のなかで,記憶に残っているエピソードなどがあれば,差し支えない範囲でお聞かせいただければ幸いです.

A2. ある患者さんのことを覚えています.

病理診断に携わり始めたばかりのころ,北海道内のある病院に行っていたときのことです.患者さんのお名前は◯◯◯◯さん.1〇歳でした.□□に発生した肉腫だったんです.それをぼくが診て,診断した.

ナイーブな場所である□□に出たのを治療して,そうしたら今度は△△に再発して,また取って,最後は■■に転移して,学生のまま亡くなった.

 ぼくは未熟だったですね.公私も混同する.正確な診断を心がける以前に,そういう状況で患者さんに気持ちを移しすぎて,すごくダメージを受けた.私も20代半ばで,患者さんの年も10個くらい下でね.

 もともと,がんに興味があって,先ほども言ったように,自分の腕試しで研究してやろうという気持ちでいたのだけれど.あのときは本当に,この……がん細胞を殺してやりたい,と思いました.

 病理の検体を診ただけだから,患者さん本人にはお会いしていないんですけれどね.その病院の技師さんが言うんですよ.「いい子なんですよ」とかいろいろ.

 最先端の研究とはまるで毛色の違う話ですが,そういった出来事が,私が病理に携わっていく中で根底の部分にあります.

 だからかな,ずっと病院で使いものにならない医師にはなりたくない,みたいな気持ちはあります.病院っていうのがキーワードかもしれない.病理をやっているといろいろな関わり方ができますよね.病理診断はもちろんそうだけれども,解剖メインで働くこともできるし,CPC(clinico-pathological conference,臨床病理検討会)をやることもできるし.

何らかの形で病院にずっと関わっていきたい.

 研究と診断を一緒にやっていこうと思うと,大変は大変です.2倍大変.でも4倍楽しい,みたいなね.今はそう思っています.

Q3. 田中教授がこれまでに出会われた,がん医療従事者やがん研究者の中で,印象的だった方はいらっしゃいますか.

A3. 研究者では花房秀三郎先生です.臨床医では白𡈽博樹先生や,寳金清博先生や…….

 まずは花房秀三郎先生(ロックフェラー大学名誉教授)です.本当に飾らない人で実直でした.さすがだなと思ったのは,「decadeを生きる研究者にならなければだめだ」と言われたことです.生命科学領域では,ちょっと前まではウイルス学が盛んだったけれど,勢いがなくなってきて,そこからがん遺伝子が盛んになってというように,10年単位での流行り廃りがある.それを乗り越えて生きるような研究者にならないとだめだということ.あれは忘れられないですね.

そして,さまざまな臨床医の「いいとこ取り」をしたいと思ってやってきました.たとえば北海道大学には白𡈽博樹先生(北海道大学大学院医理工学院放射線治療医学分野教授)や,寳金清博先生(元・北海道大学大学院医学研究科脳神経外科教授,現北海道大学総長)のように,さまざまなすばらしい方がいらっしゃって,教授会のようなオフィシャルな場や飲み会の場でお会いするたびに,たくさんのことを学ばせていただきました.人生の学びです.楽しくて楽しくてしかたない.

 昔,教授会のあと,全体懇親会が終わってから5,6人で飲みに行ったときのことです.ある教授が語るんです.道内の某関連病院の医師を引き上げることになった,明日それを伝えに行かなきゃいけない,と.「嫌だな,あそこの院長に嫌な思いさせちゃうな,これ言いにいくの嫌だなぁ」ってずっと言っている.ぼくが「先生,電話で伝えるんじゃなくて,わざわざ直接言いに行くんですか」って聞いたら,「そりゃ行くよ」と即答です.そのくせずいぶんと弱気なことを言っている.あの大講座の教授がこんなに繊細なのか……とね.今でも思い出します.

いろいろな人の良い面をたくさん見てきたことが印象に残っています.

Q4. がん医療やがん研究に従事するにあたって求められる,専門性や職能(スキル)は何でしょうか?

A4. 基礎研究は開拓しないといけない.

 ぼくはこれまで突っ走ってきたので,専門性とかスキルみたいなことはあまり考えたことはないのですが.

病理診断というのは,石橋を叩いて渡るような姿勢が求められると思います.一方,研究っていうのはチャレンジングですよね.

 かつて,ある大学院生が,あまりチャレンジをしなかったんですね.「これは当て実験ですけれども」って言った.「当て実験ってなんだよ」と思いました.当てずっぽうの当て実験.そういうことをやってると,絶対に何かを超えられないんです.Something newにたどり着かない.セレンディップがない.常に二番煎じの論文書いてるみたいな感じになってしまう.基礎研究はなにかを開拓しなければいけない.

 これに対して病理診断は,慎重の上にも慎重に.鑑別診断をあげて,H&E染色の上に免疫染色を追加して確認をして,という感じですね.そういったプロセスは,研究とは少し違うと思います.

今いる寺島(祐樹)君が,研究と臨床をどっちもやりたいって言ったとき,それらは思考法が違う,ふたつ同時にやると崩れるし,頭がおかしくなる,身につかないからやめろって,どちらか一方にさせようとしたんです.ぼく自身は両方やってたくせにね(笑).ただ,あとで冷静に,種井(善一)助教とか津田(真寿美)准教授らと相談してね.寺島君を4年間見てきたけど,彼ならできるんじゃないか,みたいな話になった.まあ,ぼくは一度がつんと言ってしまったんですけどね.両方で自分を超えていけるなら……あるいは.

要は,一律で80点を取るような教育目標は掲げていないということです.そんな育て方をしてもしかたがない.30点,40点くらいでも楽しくやっている人がたくさんいる中から,200点,300点を取る人が出てくればいいなと思って指導をしている.前任の長嶋先生も,口にはしなかったけれど,そう思っていたのかなと思います.

Q5. 医療従事者や研究者が修める,「がんの学問」(がん学)を想定します.それはどのような学問体系でしょうか.

A5. がんの根源的な疑問が追求されてほしい.

病理診断だけにとどまらず,がんにかかわる根源的な疑問が追求されてほしい.

たとえば,チロシンキナーゼをコードするがん遺伝子のSrcはトリのウイルスから発見されてきたけれども,HTLV1やHIVといったヒトレトロウイルスからはがん遺伝子は見つからない.「なんでヒトレトロウイルスからはがん遺伝子が見つからないのか」.効果が強すぎるからがんにならずに死んでしまうからでしょうか?

「なんでがんができるのか」.人間が生きていくためには高速でDNAを複製しなければいけないからこそ,読み間違いも起こるし,読み間違いを正す修復酵素がないからがんになる,そういう確率的な理解だけでいいのでしょうか?

科学者と話をしていると,「がんってのは生き続けなければいけないのか,不死である必要があるのか」なんていう疑問が出てくることもあります.生きることは命題なのでしょうか.生きるってのは大変ですよ.あんなにエネルギーを使うんですから.本来,物理現象は自由エネルギーがフラットになっていくほうに向かっていくから,われわれも死んでしまうんだけれども,生きている間は自由エネルギーの散逸に逆らってエネルギーをぐっと溜め込まなければいけない.あるいはそういう営みを少し休みたいということ,それが幹細胞化するということなのだろうか.「なんで幹細胞化するのか」.「リプログラミングってなんなのか」.メチル化,ヒストンの修飾…….

単なる知識を求めにいくのではなくて,そういった根源的な疑問を明らかにしたい.そこに勝機を見出したい.学生講義ではここまで言えませんけれどね.

Q6. 「がん学」を修める学生や,「がん学」を後輩達に教える指導者たちが,それぞれ心に留めておくべき「勘所」はありますでしょうか.

A6. 軽薄すぎてはいけないということでしょうか.

そうですね……どういう言葉でお話しするのがいいかわかりませんが,あまり冗談っぽくやるな,ということでしょうか.患者さんがいるので,軽薄に語りすぎないようにしなければいけないというのは,いつも自分が講義するときに気をつけていることです.それこそ,プロである医師が講義をするならば.

学生の興味を惹きつけるために面白おかしくしゃべる人っていますよね.いろいろな面白さがあって,それはいいんだけど,病気自体をばかにするような笑いを取ってはいけない.

とはいえ,腫瘍の講義をするとき,「みなさまのご家族にもこの脳腫瘍の方がいらっしゃるかもしれないですけれども」なんて,あまり言い過ぎるのもよくないですが.

たとえば,技術的な研究で,がん細胞を押して硬さをはかる,みたいな研究をやっていたとする.15 kPaでがんを押したらこういう形になった,18 kPaだったらこんな形になった,とかね,「がん研究」という名前で学会に発表しているけれど,あまりに患者さんから離れすぎていることをやってしまうと……ちょっと心が狭いかもしれないけれども,うーん.患者さんがいるんですから.患者さんのことをよく心に留めておいてね,という感じです.

Dialogue

<最初の一日の衝撃>

――ありがとうございました.田中先生の来歴の話をもう少しお伺いしてもよろしいでしょうか.

医学部入学時からがんの診療と研究を両方やりたいと思っていたわけですが,学生時代はどうやったらいいのかわからなかった.そこに,(前任教授の)長嶋和郎先生が現れたんです.医学部4年生のときでした.

HIVの研究が盛んだった頃です.学生講義で,話題になっていたある遺伝子がエレガントだ,と論文を紹介されて,すごいなと思った.講義の後,すぐに質問に行ったんですよ.

――病理学の学生講義ですか.

そうです.長嶋先生がはじめて病理学の講義にいらっしゃった日でした.

講義の後に,『Nature』の論文を持って聞きにいきました.そうしたら,周りにいた講座のみんなに「すごくいい質問だね」みたいにおだてられた.そして,「今日,うちの講座でjournal club(論文の抄読会)があるから,この論文をまとめて発表してよ」と言われた.

教授に言われたからには……! 午後の講義をサボって図書館で論文をまとめて,夕方に発表しました.そうしたらまた褒められる.「すごい,学生とは思えない」みたいにね.

いい気になって,講座のみなさんとお酒を飲んでいたら,夜の9時ころに,剖検の連絡が入ったんです.札幌市外のとある病院からね.すると長嶋先生が,Robbins (Pathologic Basis of Disease)のあるページをコピーして渡してくれて,「これを読みながら(解剖当番の)梶原(昌治)先生に付いていけ!」って言うんですよ.

初めて見学した病理解剖でした.Goodpasture症候群.

梶原先生が,「ほら,これ,田中君,心臓だよ」って見せてくれる.血管がどくどくして頭もくらくらしてくる.その場でしゃがみこんでしまってね.そうしたら看護師さんかな,「この若い先生倒れたから,はい,運んで運んで」.あんな倒れ方したことなかったんですけれど,本当に,衝撃的な一日でね.

 それから,ずっぽりとこの教室にはまった.

免疫組織化学染色(免染)が出始めの頃でした.医学部時代,私は教室に通って組織標本を作っていました.標本作って,H&E染色やって,免染.北海道ではまだ,北大第二病理と,札幌医大の第一病理でしか免染をやっていなかった.札幌医大の菊地浩吉教授が,L26,今でいうCD20の抗体を作ったころの話です.競っていましたね,札医か二病かと.私はウサギを使ってモノクローナル抗体やポリクローナル抗体を作っていました.同期の畠山君(※畠山鎮次先生:現・北海道大学大学院医学研究院生化学分野医化学教室教授,医学部長)と一緒に.

長嶋先生はとことん研究をやらせてくれました.細胞培養,FACS,ウェスタンブロット.学生時代にいろいろ身に付きましたし,ありとあらゆる失敗を全部させてくれました(笑).だから,大学院に入ってからはあまり失敗はしなかった.

<なぎ倒していく姿>

 ――大学院ではどのように研究を進めていらっしゃったんですか.

 大学院に入る前に……卒業旅行でニューヨークに行こうと思ったんですね.そうしたら,長嶋先生から「松田道行先生のところに泊まったらいいんじゃないか」と言われました.そこではじめて松田先生にお目にかかり,ご自宅に1週間くらい泊めていただきました.

 ――あっ,松田先生がロックフェラー大学の花房研究室にいらっしゃったときですか.

そうです.もともと長嶋先生は,東大講師時代に松田道行先生を指導されていて,その後もずっと教えて,大学院の面倒も見ていらっしゃった.松田先生を花房研に行かせたのも長嶋先生でした.

長嶋先生が花房先生とコンタクトをとったときの話がおしゃれでした.いきなり本人に電話して「長嶋ですけど」じゃないんですよ.イギリス方式というか.秘書さんを通じて,イギリス人のビリーあたりに聞いて.そうやって無事,松田先生をニューヨークに行かせた.

ぼくが卒業したタイミングは,ちょうど松田先生が,SH2ドメインがリン酸化したタイロシンモチーフに結合するという論文を『Science』に発表した直後でした.そんなときに長嶋先生がぼくに,「松田の家に泊まれ」と.

松田先生の家で,がんの研究をしたいんですと伝えたら,「じゃあ,ぼくはもう少しで東京に帰るから,俺んとこに来いよ」と言ってくれました.「君が長嶋先生に直接それを言うと角が立つから,ぼくが長嶋さんに,田中が欲しいって言っとくから」.

それで,大学院1年目を北大第二病理で過ごし,2年目から松田先生のいる国立感染研に行きました.ただ,ぼくがやっていたのはがん研究です.松田先生も,「ここは感染研なんだから,君の勉強にならないよね」って,近くの白金台にあった東大医科研の,山本雅先生を紹介してくださった.今でいうところのHER2とかEGFRとかを発見した日本のトップラボです.そこの勉強会に入れてもらって,journal clubで最高峰の人たちと勉強できたんです.

そこには山本先生のほかにも,いろいろなトップラボラトリーの人がいて,『Nature』『Cell』『Science』の論文を発表していくんだけど,松田先生がそういうのを全部なぎ倒して,ここはこうだ,ああだって,君のここがおかしくて,こういう論文があるからこうだって,ぶわーっと言ってね.で,他の皆さんはその後research meetingがありますが,ぼくら二人はjournal clubが終わったら帰るんですけど,帰りも松田先生の車で20分くらい,ずっと言ってるんですよ.ああでもない,こうでもないって.

そうしたら松田先生があるときふっと,「あれ,この論理,俺が間違ってるじゃん」と言う.「あっ,俺,違ってるじゃん.なんであいつら俺の間違いを指摘しないんだよ.バカなんじゃないか」(笑).日本のトップを突っ走る人って,こうやって人をなぎ倒していくんだと思ってね.あれはとことん勉強になったね.

<大失敗? でも……>

――がんという難しいものに取り組みたいというモチベーションに,そんな豊富な経験が加わったら,おもしろくて仕方ないと思います.

あの一年には,凝縮していました.山本研もですし,ほかにも.

たとえばPI3Kの仕事です.松田先生の同僚に福井泰久先生という方がいらっしゃって,PI3Kをやっていて,その抗体を作ってくれと言われました.折しも福井先生が東大農学部の教授になったので,東大農学部に行って.

抗体ができたらどうするか.マイクロインジェクションをしたい.シグナル経路の下流にRASがあり,上流にタイロシンカイネースがあるというのは,1986年にRASに対するモノクローナル抗体を用いた仕事で明らかになっていた.それを知っていましたから,私もPI3Kをマイクロインジェクションしたいと思った.

そうしたら松田先生が,小平にマイクロインジェクターがあるぞ,と言うわけです.上代淑人先生っていうすごい生化学者がいて,上代研の門下の中村俊先生とか服部成介先生あたりを兄貴分って感じで頼って,マイクロインジェクションをやる.当時のぼくは目黒に住んでたんだけど,小平までは2時間くらいかかっちゃうから,医師住宅を借りて.

で,PI3Kのultra-super-antibodyを作った.20種類くらい.今でも売っています.ところがそれを細胞に入れても,シグナルがぜんぜん止まらない.大失敗です.

 そうしたら松田先生が,「Crkを入れてみな,Crkって細胞にトランスフェクションすると形がとんがる.CrkをPC12細胞に入れてみたら絶対なにか起きるよ」って言ってくれた.さっそく入れてみると,細胞がにょきにょきと分化してシグナルになった.これはおもしろい.CrkにはさっきのSH2ドメインのほかにSH3ドメインもあるんだけど,SH3ドメインの機能はわかっていなかった.じゃあSH3にミューテーション入れてみたらどうなるか…….そうやって研究が進んでいったわけです.

 ――SH3のクローニングにつながっていくわけですね.

 感染研,そして小平で通算1年半がんばって,それから札幌に戻ってきて,北大でクローニングを始めました.松田先生から,「日本中のセルライブラリーを全部北大に送るぞ.おまえ,全部やれ」って言われて.1系統だけじゃ絶対ミスするから,HeLaとか,脳細胞のやつとか,全部やれと.今で言うところのオートシークエンサーが日本に1台しかなかったんだけど,それが松田先生のところにあったので,ぼくは札幌でファージを全部とって,松田先生に郵便で送る.すると松田先生が遺伝子情報を全部,パソコン通信っていう今のメールみたいなやつで送ってくれるわけです.

 ――ニフティサーブ,とかのあれですか.

 そう.三島にあった遺伝研にぼくからまずパソコン通信を送る.すると8時間後に遺伝子情報が返ってくる.だから夜にデータを送ると返事が朝来るんだよね.だーっと.ある日ついに,グアニンヌクレオチド交換因子と相同性があるっていうデータが出た.それが……長嶋先生とスキーに行く日の朝でした.

 ――よく覚えていらっしゃいますねえ.

 長嶋先生からは「早くスキーに行くぞ」みたいに言われてね.SP1とSP6でクローンがつなぎ目になってて……とにかくパソコン通信のデータだけ印刷してからニセコに行って,そこで重ねて,「あっこれグアニンヌクレオチド交換因子だ」って確認して,ニセコから松田先生に電話で「とれてました」.「よくやったぞ」(笑).懐かしいですね.クローニング時代.

――エピソードの数々も大変おもしろいですが,先生は30年近く前のことをまるで昨日のことのように覚えていらっしゃいますね.出会った人のお名前,そのラボにいた人たちの系譜,地名……(注:原稿にあとで補足したのではなく,一度のインタビューでほぼこのまま語られています).

適宜編集してください.地名と言えば,小平には精神・神経センターがあって,朝から近隣の畑で作業療法をやってたんですよ.ぼくは医師住宅から寝ぼけた頭でそのまま研究所に向かっていたんだけど,ジーパンにTシャツでね,そしたら看護師さんたちに「作業療法はこっちだよ」って誘導されてね.いや,研究者ですから,って言ったんだけど,「いいから,とにかく来なさい」みたいな(笑).本当に懐かしいな.小平時代は.

<医学大好き人間が旗を振るということ>

――あらためて,田中先生のお仕事に対するお気持ちをお聞かせいただいてもよろしいでしょうか.

 医学大好き人間が走り続けている,という感じかな.医学に興味もあるし好きなので,とことん研究,教育,診療に携われて,とても幸せです.

 ――医学のどこが好きか,なぜ好きかもお伺いしてもよいですか?

 なかなか考えたことはないけれども,なんで好きなのかな.昔は変に理詰めなところがあって,弁護士になりたいか医者になりたいかですごく迷って,中学のときは裁判所に通ってたんだよね.六法全書も買って.ただ,はたと「アメリカ行きたいな」と思った.となると,日米で法律は違うじゃないですか.でも人体はいっしょだから,医学にしようと思った.

 ――ユニバーサルさが決め手でしたか.

 当時は完全に文系科目が得意だったんですよ.国語とか英語とか.でも,研究計画書とか申請書を書いたりするときのことを考えると,医者になって使うのって国語だね(笑).放射線科とかならともかく.

 ――おもしろいですね.

 ただ,付け足すと,テクノロジーの進歩とともに,ゲノムとか,シングルセルとか,トランスクリプトームとか,Pythonを使ったりRを使ったりSeuratを使ったりするようになったでしょう.そういう理系方面については,そういうのが得意な若者といっしょに仕事をしていますね.ぼく自身はそういうのは苦手だけれど,旗を振る.すると,できる人たちが集まってきて,できる人どうしが教え合って仕事が進む.

 組織切片に50万個の細胞があると,トランスクリプトームのデータがだいたい1億5000万.1細胞あたりだいたい300です.今やっている機材だと遺伝子は一度に400くらい扱えるんだけど,今度,5,000遺伝子をいっぺんに解析できる機器が売り出されたとして,そっちでクラスタリングをやり直してもう一度「意義付け」するのは面白いな,と考える.実際にドライ解析をする作業はもちろん大変で,若者ががんばってパソコンに向かってくれているんだけど,ぼくもまた,本質的なことを見失わないように心がけながら旗を振ってやっていかなければいけない.数理学的にこのパラメータをいじるとここが動くということは,そこんとこは見せかけなんだな,とかね.

 そういう場面で,医学的な知識や,病理を見る目というのは,嘘偽りなく,これからの融合研究とか未来医学を進めていくチームに必要なんです.そういうチームには医者が一人はいないとだめですね.

 ぼくは今,ICReDD(北海道大学化学反応創生研究拠点)に入っていて,そこにはノーベル賞級の科学者がいるけれども,医者がそこに一人加わっていることに,彼らからもありがたがられている.病気を知っていて,病理組織を読める存在って極めて大事なんだなっていうのを,あらためて今感じています.

 クローニングをやっていたとき,ひとりで荒波の中でやっていたときとは全く別世界でね.融合研究の中で医者の重要性は高いし,医者の中でも病理ってすごく大事で,やっててよかったと思っています.

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