※毎週火曜日、書籍『がんユニバーシティ』で行ったインタビューの、「編集中の原稿」を全文公開します。書籍版ではここから大幅に編集をし、各先生方からの寄稿をはじめとするたくさんの文章をコラム的に散りばめて、一冊の本にまとめます。このブログでは、インタビュアー(市原)が興奮し続けた「生の雰囲気」、編集前の原稿だけが持つ猛烈な(ちょっと読みづらい?笑)エネルギーを味わっていただきたいと思います。
科目名: がん患者の近くに
講師: 尾阪咲弥花先生(聖路加国際病院 緩和ケア科)
テーマ: 緩和ケア ~まるごと人間としての患者さんに出会う~
学期: 3年前期
Q & A
Q1. 尾阪先生のご専門と,お仕事の内訳をお教えください.これまでのお仕事の中で,「がん」に関するものはどれくらいありましたか.
A1. 今は,99%です.
私は緩和ケア医です.今まで日本では,診療報酬など制度の制約もあって,緩和ケア医が診る患者さんのほとんどががん患者さんでした.でも,緩和ケアとはそもそも,「命を脅かしうる病気をもつ患者さんとそのご家族のQOL(生活の質)をよくしよう」,という医療でありケアの形なので,対象ががんだけでいいはずはないんです.心不全,エイズ,腎不全,ALSなどの神経筋疾患など,がんに比べて経過が比較的長くてもやがてはいのちに関わる病気はたくさんありますし,高齢化が進んだこともあっていくつも合併している方も増えています.“illness trajectory(病の軌跡)”といって,病気によって進み方や生活への支障の度合いが異なる傾向があるのですが,たとえばがんと心不全とでは全く違う進み方をすることが多い.実は,がんという病で亡くなるとして,その2ヶ月ほど前までは普段とあまり変わらない生活ができることも多いのです.一方で,心不全や慢性の呼吸器疾患の方などは,もっと長い間,調子が悪くなったり少し持ち直したりを繰り返して,生活が制限される場合が多かったりする.わたしたち緩和ケア医は,患者さんの病気を治そうとする立場ではなく,どうしたら良い時間を過ごせるか一緒に考えるのが仕事なので,「心不全か・・予測しづらいな」なんて言っている場合ではなく,あらゆる厳しい病,severe diseaseに対応できるようにもっと急いで進化していかなければならない.実際,そうした問題意識で「腎不全と透析に関わる緩和ケア」「救急医療の現場での緩和ケア」などの専門家もどんどん出てこられています.
一方で,この領域には,基本的緩和ケアと専門的緩和ケアという言葉があります.すごく高度な医療用麻薬の調節が必要な場面などでは専門的緩和ケア,つまり私たちの出番です.でも,もともと,緩和ケアって,開業医さんも看護師さんも,みんながやってらっしゃることだと思うんです.病気がその方の生活にとってどんな困りごとになっているか考えて,楽に過ごせるように知恵を絞ることって,医療とケアの原点なんじゃないかなと思うので,「緩和ケアだけがやっている」なんて全く思っていません.「基本的」「専門的」という呼び方ももしかしたら適切ではないかもしれない.
看取る,ということも,数十年前まではずっと,おうちでやっていたんですよね.産まれてくること,死んでいくこと,それが当たり前のように家の中にあった.だからそれを病院の中でやらなきゃいけないっていう話は,本当は,違うはずなんです.
だから,私の中でも,緩和ケアという仕事が今ほんとうはどうあるべきかということについては,まだ結論が出ていません.でも,日々お会いする患者さんが,痛みや息苦しさなどの体のつらさや,不安や無力感などの心のつらさを抱えておられたら,それを少しでも軽くして,病気であることを考えなくてもいい時間を過ごせるようにしたい.抗がん剤など,がんの治療は楽ではないこともあるけれど,副作用もうまく和らげて,長く続く治療と付き合っていただけるようにお手伝いしたい.そんな思いで毎日診療しています.
「緩和ケア」という言葉を知っている方は増えたと思いますが,世間でのイメージは,実は数十年前からあまり変わっていません.「もう治療ができなくなった時のさいごの医療」というイメージが根強く,「とうとう緩和ケアと言われてしまった」と衝撃を受ける方も多いです.でも,もっと皆さんに知っていただきたいなと思っているのが,「診断時からの緩和ケア」という考え方です.「最初から緩和ケアなんて行きたくない」と思う方が今は多いと思いますが,病気だとわかったとき,途方に暮れてどうしたらいいのかわからなくなってしまうのは当たり前のことで,その時から緩和ケアがそっとおそばにいられたらって思います.診断されたその帰りに緩和ケア外来や「がん相談支援センター」に立ち寄っていただいて,今後困ったらいつでも来てくださいね,みたいな感じで最初に顔合わせをしておけば,いつでもすぐに緩和ケア科に併診できる.皆さんおっしゃるように,診断された直後は頭が真っ白になってしまうものです.緩和ケアに行こう,なんて思いが及ぶのは難しい.これからは,誰しもが強い衝撃を受ける診断時から,緩和ケアが自然な流れで組み込まれ,誰一人として忘れ去られず適切な緩和ケアを受けられる,そういうシステムを作っていけたら,と思っています.
といっても,別に新しいアイディアというわけではなくて,今までずっと,診察室で病名を聞いたあと待合室で呆然としている患者さんを見てそっとそばに座ってお話を聞いたり,一見淡々としているように見える患者さんでも何かを察したら黙って背中をさすったり,主に看護師さんたちがしてきた大切なお仕事と通じると思います.「もし,」自分だったら,今,どうしてほしいだろう?」それが正解とは限らなくても,そこに居合わせた人間としての共感や思いやりがまず根底にあって,そこでしっかり専門性を発揮する.この順番を忘れてはいけないだろうと思っています.
私が今働いている病院では,抗がん剤治療中で緩和ケアにも通院している方が大勢いらっしゃいます.抗がん剤治療をする科を腫瘍内科というのですが,朝一番で抗がん剤ができるかどうか見るための採血をして,その結果待ちの間に緩和ケアの外来にいらっしゃったり.患者さんは最近のご様子をポツポツと話してくださいます.「近ごろ外出が億劫でね…」とか,ときには,不安で言葉にならなくてポロポロ涙を流される方もいらっしゃいます.お話を聞きながら,あれ,なんかちょっと,この方少し体調が変わってきたかな,と察したり,血液検査やCT画像を患者さんといっしょに見ながら,病状も含めた「現在地」を共有し,病状が進んでいるようであれば少しずつ緩和ケアの比率を上げていく,といったことを行っています.
緩和ケア病棟がある病院ですので,「なにか」っていうときにはここに入院もできます,とお伝えしています.もちろん入院しないほうがいいのだけれど,「困ったら入院できる」というお約束が少しでも患者さんの安心につながり,大切な日常を慈しむことに役立っているといいなと思います.
Q2. 緩和ケア医が,がんに携わるとはどういうイメージでしょうか.ほかの医師とくらべて,どう違うでしょうか.
A2. 治ることが目標じゃない.治療は,奪うものであり得る.
緩和ケアの対象はがんだけではないですが,今日はがんの話ということで.
「がんを診るのではなく,がんを持っている方を診る」ということだと思います.治ることが目標じゃないんですね.
先ほど「診断時からの緩和ケア」と言いましたが,病状が進んだ方と接することはやはり多いです.緩和ケア医はその方に残された時間が有限であることを常に意識しているので,治療に時間が費やされることや,医療行為によって体に負担がかかることにすごく敏感だと思います.「治療は,奪うものでありうる」.その視点はどんなときも忘れないようにしたいと思っています.
もちろん,治療科の先生方も,治療にかかる時間や負担を考えたうえで治療計画を立てておられます.でも,患者さんが効果を信じて期待して望まないと,長い治療を乗り越えるのって難しいということを日々痛感しているはず.だから,できるだけ副作用をコントロールしたり,抗がん剤の種類を変更したり量を調節したりしながら,抗がん治療をなんとか続けられるように励ましていく,というのが基本的なスタンスだろうと思います.ところが,どこかで「もうこれ以上続けても,効果より負担のほうが強く出るだろう」という局面になることがある.この瞬間に,今まで期待して続けてきたものが,自分の味方ではなくなる.患者さんにとっては抗がん剤を続けることが病気と闘う手段であったのに,急に「もうやらない方がいい」と言われる.その判断にはしっかりと根拠があるわけですが,「今まで時間やお金を犠牲にして頑張ってきたことは一体何だったんだろう」って感じたとしても,無理はないだろうなと思います.
抗がん剤の効果でCTに写るがんの姿が小さくなっていれば,当然,治療は続きます.でも,Time toxicity(時間毒性)なんて,最近,言いますよね.もしかしたら,患者さんの大切な人生の時間にとっては有毒なものであるかもしれない.
これについては,私たちより,腫瘍内科の先生方が悩んでいらっしゃるかもしれないですね.
病気が治って患者さんとお別れしたことはほぼありません.痛みを伴うような無理な延命治療は,しない立場です.でも,痛みのない状態で,一日でも長く,と思っています.緩和ケア医は,死への恐れ,死への抗いという点で,患者さんと同一の方向を向く存在だと思っています.
Q3. 尾阪先生がこれまでに出会われた,がん医療従事者やがん研究者の中で,印象的だった方はいらっしゃいますか.
A3.柏木哲夫さん,門田和氣さん,養老孟司さん.
まず,柏木哲夫先生は,緩和ケアの道に進みたいと思うきっかけになった大きな存在の一人.大阪の淀川キリスト教病院で日本の緩和ケアの黎明を支え,常にリードされてきた方です.研修医として初めてお会いしたとき,緊張で震えました.
でも,そんな緊張を忘れてしまうくらいあっという間に,すっと人の心の中に入り込んでしまわれる.よく知られているエピソードですが,駅前のはんこ屋で,「太鼓判」って書いた顔くらいある大きなハンコをオーダーして.患者さんに「よっしゃ,天国行ける,太鼓判押したるわ」って,背中にバーンと押すんですよ.「え,患者さん怒らないのかな」と思いながら見ていました(笑).こういうのはやっていい人と悪い人がいるなって思ったんですけれど,柏木先生は魔法使いみたいな人で,みんな笑顔になる.だけどご本人もあとで,「これは人を選ぶねん」とおっしゃっていました.
意識レベルが落ちて,もう何日もほとんど話していない,串カツ屋さんの店主の患者さんがいらっしゃいました.回診のとき,私たち研修医が「痛くないですか」とか「眠れてますか」とか聞くけれど,お返事はない.それなのに柏木先生,串カツ屋で客が食べ終わった串を床に捨てるっていう話をいきなりされて,「あれって,洗ってもういっぺん使ってるんでしょう?」って聞いたんですよ.そうしたら患者さん,がばっと起きて,「いやいや,それだけはしません」って.その方にとって大切なことだったんでしょうね.その瞬間,その人は患者さんではなく,真摯に仕事をしてきた一人の料理人に戻ったんです.目の前の人の人生に深い興味と限りない尊敬を持って対峙する覚悟を感じました.あの域には,100年緩和ケア医をしても達することはできないでしょうけれど.
それと,門田和氣先生.和気あいあいの和気.いいお名前ですよね.大酒飲みで,コートのポッケには缶酎ハイが入っているという噂も(笑).国立がん研究センターにいたときに麻酔・緩和ケア科という科で指導いただきました.緩和を勉強したくて行ったのですが,手術麻酔を担当することが多く,「もっと患者さんと話したいな」なんて最初はちょっと不満に思っていました.麻酔中は当然,患者さんはしゃべれませんから.でも,門田先生はご自身が麻酔を担当する患者さんのことを前日から調べていらっしゃる.その方に合った麻酔方法は,抜管のタイミングは,そして,術後の疼痛コントロールはどうするのがいいか,綿密にプランを練っておられるのです.門田先生が麻酔を担当した方は,術後の回復もとてもスムーズでした.医療者が前に出るのではなく,いかにして患者さんの力を信じて支えるか,という姿勢を学ばせていただいたと思っています.今の病院に移るお話をいただいたとき,私に務まるのか心配でご相談したのですが,「GOだよ,きっとできる」と背中を押してくださいました.そろそろ引退だなんておっしゃっていますが,まだまだ導いていただきたいと思っている大きな存在です.
もうお一人は,がんの医療者というわけではないのですが,解剖学者の養老孟司さんです.高校時代から著書を読みあさり,難しくてわからない内容も多いのにどうしようもなく惹かれて,憧れ続けた先生です.一つ目の大学は文系の学部だったのですが,医学部の養老先生の講義をこっそり受けていました.「死」に対する私たち日本人の在りようが,いかに変化してきたか,現在の形が自然とは大きく乖離したものであるという先生のお考えが,実は幼少期にお父様を亡くされた時のご経験に影響されたものであると知り,大好きな祖父母の死を恐れ続けていた自分の弱さを肯定することができた,という勝手な経験もありました.養老先生のもと,日米の学生が集まって人体のプラスティネーション展示を企画したことがあるのですが,一般向けに展示することは死者への冒涜だという世論が強いことを知り,会場を探すのがとても大変でした.私たち日本人にとって死はずっと近くにあったのに,いつの間にか遠ざけるようになったことを実感しました.あの頃養老先生にぶつけた,いのちについてのいくつかの質問と,いただいた答えは,大切に心の中にしまってあります.
Q4. 緩和ケア医に求められる,専門性や職能(スキル)は何でしょうか?
A4. 敏感さ,鈍感さ,しつこさ,好奇心,マネジメント能力.
患者さんの死を「三人称より近いもの」として感じ取る敏感さ,そして,自分ができることは限られているのだということを理解し,感じすぎない鈍感さ.
患者さんの思いや願いを理解しようと努めるが,限界があることも知っていて,それでも逃げないでそこにいようとするしつこさ.ここ数年話題になっている,ネガティブ・ケイパビリティnegative capabilityとも近い感覚.
患者さんひとりひとりの個性にうんざりしない,もっと知りたいと思う好奇心.
限られた診察時間の中でその患者さんとの時間をいかに学術的にも感情的にも濃いものにできるか,というマネジメント能力.
ざっとまとめると,こんなところでしょうか.
最初から緩和ケア医になる人はあまり多くなくて,大きく分けて内科から,精神科から,そして麻酔科からが多いと思います.お身体を診察し,検査やお薬の助けを得ながら症状を和らげていくのは,内科的アプローチ.より対話を重視し,心と体がつながっていることに重きを置いていくのは,精神科的アプローチ.神経ブロックや硬膜外鎮痛など,手技の力で痛みを和らげていくのは,麻酔科の得意分野です.
皆がこの場所には必要なので,それぞれご自身の得意なスキルを活かしていただきたいと思います.もちろん,最初から緩和ケアをやりたい,という方にもどんどん入ってきてほしいです.
あと,外科を経て緩和ケアに来る方もいらっしゃいますね.少し前までは,がんの手術をした外科の医が化学療法もその後も全部診ていらっしゃったと思います.「自分が執刀した患者さんは最後まで責任を持つ」という外科医が多かったと聞いています.そこには,お互いが信頼し合う理想的な緩和ケアがちゃんとあったのだろうと思っています.「緩和ケア」などという言葉が生まれるずっと前から.
Q5. 緩和ケア医は,どれくらい「がんの学問」(がん学)を学ぶべきでしょうか.
A5. 本当に,切り離しちゃいけないですよね.
いつも,自分自身に対して思っていること.緩和ケア医はたくさんがんの勉強をしないとだめ,っていうことです.
もちろん,患者さんに寄り添うとか,傾聴するということも大事ですけれど,それは当たり前のこと.がんの医療は治療も診断もほんとうに日進月歩で,それぞれのがん種に専門家がいるわけですが,緩和ケアにはさまざまながんの方が来られる.ちょっと気を抜くと,新しい薬が承認されていて,どんなスケジュールで行われるか,どんな副作用が出やすいか,それぞれ全く異なる.腫瘍内科の先生に質問したり,自分で学ぶ機会を作りながら,最新のがん医療を常にアップデートすることは,緩和ケア医にとって非常に重要なことだと思います.ここ数年で標準治療にどんどん入ってきている免疫チェックポイント阻害剤は,投与中だけでなく,終了後何か月もしてから突然副作用が出たりする,そういうこともわかっていないといけない.本当に「切り離しちゃいけない」ですよね.
これからの超高齢化社会では,複数の併存疾患を抱える方がほとんどになってくるでしょう.併存疾患とがんとの関係を,「この人は本当にがんで亡くなるのだろうか?」というところも常に冷静に診ていかなきゃいけないですよね.どうしても「がん」と言われると,年齢に関わらず皆驚き,衝撃を受けられるわけですが,たとえば,九十何歳でがんだという方がいたとして,はたして,「がん患者として」その方を扱うことは本当に正しいのでしょうか?そのへんをもうちょっと冷静に見る力を,私たちは養って行ったほうがいいのだろうと感じます.
そして,冒頭にもお話ししましたが,本来緩和ケアの対象はがんだけではありません.がん以外の様々な疾患の特徴も把握し,症状が出て患者さんが困ってからではなく,ある程度予測して対処していかなければならない.
Q6. 「がん学」を修める学生や,「がん学」を後輩達に教える指導者たちが,それぞれ心に留めておくべき「勘所」はありますでしょうか.
A6. まるごと人間としての患者さんに出会っていくのだという覚悟が必要かと思います.
命をおびやかす疾患はがんだけではないし,高齢化が進むにつれて併存疾患も増えるのにがんだけを別物として捉えることはしなくていいとは思いますが,やはり,がんというものの存在を他疾患とは少しだけ別のものとして考えています.自分の細胞がブレーキを失ってどんどん増殖し,知らぬ間に全身の臓器に飛んでいく,というイメージは,やはり恐ろしいものです.検査も治療も飛躍的に進歩しているので,がんを克服する方が増えている一方で,治すことが難しい状態になり,「余命」「生存期間」という言葉でいのちの限りを突きつけられ,とてつもない不安を抱いている患者さんもいらっしゃる.そのような方々に,なにを示せるか,どう支えることができるか.
「そのとき」がいずれ来ることを共有し,それまでの時間をどう過ごすかを,一緒に考える.
言うまでもなく,その患者さんが人生の主役で,医療者はその物語の裏方です.しかもずっと前から関わっていた裏方ではなくて,いわば「ぽっと出」の裏方.そのくせ,画像所見や治療選択肢などの重要な個人情報を持っているため,どう翻訳して患者さんに伝えるかにおいて,五感を研ぎ澄まして対峙しなければなりません.伝え方が正解だったかどうか,答え合わせはできないのですが.心がけていることは「目の前のこの方のこれまでの人生に想いを馳せる」ということです.言うまでもなく,出会う前の長い人生があり,その方の美学がある.そこに医療がどこまで介入すべきなのか,それはCTや血液検査の結果とにらめっこしていても決して答えは出ません.「生存期間を延長する」ことですら,そのための治療にかかる時間や負担を考えると最優先事項ではないこともあるかもしれない.あくまでも決めるのは患者さん自身で,私たちはその大切な選択のサポートをするということだと思っています.
これから高齢化が加速します.がん以外の併存疾患もたくさんあるお年寄りがどんどん増えていきます.その中で,がんを診る意味はさらに複雑化していくでしょう.
「なぜ,自分の細胞が自分の命を終わらせる方に動くのか?」私たちはまだ十分に知りません.
がん診療も臓器別に細分化され,それぞれのエキスパートが育っていっているのを眩しく感じます.高度ながん診療は彼らの努力に支えられています.緩和ケア医として,こころと身体がつながっていることを忘れずに,ひとりひとりまるごと人間としての患者さんに出会っていくのだという覚悟が必要かと思います.
その都度最善の目標設定を個別にしていくことが必要です.ゴールといっても確定的なことではなく,「なるべく仕事を続けたい」「なるべく家族の負担になりたくない」,あるいはもう少し具体的に「孫の入学式に出席したい」「もう一度推しのライブに行きたい」など,さまざまです.目標には根底に強い思いがあるので,その思いもひっくるめて患者さんとご家族と共有できれば,その思いにそぐわない治療は,もう「治療ではない」ので,「行わない」という選択ができますし,たとえ病状が思わしくなくて実現が難しくなった場合でも,その思いをかなえるために他の選択肢を提案できるかもしれません.
逆に,ゴール設定が明確でないと,「できることはすべてやってほしい」と考える患者さん・ご家族の思いが宙に浮いたまま,さいごを迎える可能性があります.それは,誰も望んでいないはずです.
こうしたマネジメント能力を身につけるためには?…私自身,試行錯誤しながら日々診療しています.こんなことを言うと患者さんは不安になってしまうかもしれませんが.ただ,これから医師になる皆さんには,ありきたりですが,学生時代にたくさん考えて,大勢の人に会って,いろんな価値観を知って,分かり合えずに泣いたり,ケンカしたり,そういう生身の体験をしていただきたい.きっと,糧になると思います.
患者さんやご家族に押し付けることはしてはならないが,医療者は自分なりの死生観を持っているべきだと思います.もちろん変化していいものです.そのうえで,まずは(難しいですが)先入観なしで,一人の人間として,患者さんとご家族それぞれの希望に向き合ってみる勇気を持ってほしいと思います.
緩和ケア医は,あくまでも裏方,サポーターです.緩和ケアは世間でしばしば誤解されているような,お看取りだけの医療ではなく,もっと長い間伴走する存在だけれど,患者さんとのお別れも多く経験します.その方が生きてきた長い人生の終幕のお手伝いをすることに希望を見出せると思う方は,緩和ケアの道に来ていただきたいです.
さいごに.私たちは神様ではないので,できることはほんの少ししかないことを知っておいてほしいです.そこにいて,病室や診察室を逃げ出さなかっただけで,じゅうぶん賞賛に値することをしたんだと(こっそり自分の中だけでは)思っていてください.
「どうして私ではなくあなたが」神谷美恵子
「その場にいることを許されたことに誇りを持つ」田村恵子
Dialogue
<つらくないよ>
――ありがとうございました.尾阪先生の来歴の話をもう少しおうかがいしてもよろしいでしょうか.
私,先月,病院を移ったんです.前の病院では11年近く働きました.地域の200床足らずの病院の緩和ケア病棟です.その病院で積極的ながん治療をしてきた方というのはあまり多くなくて,がんセンターや大学病院などから,「もう治療はできないのでここからは緩和ケアですね」と言われた方を多くお迎えしていました.
最近は,免疫チェックポイント阻害剤や分子標的薬など治療の選択肢が増えたことや,在宅医療が拡大したこともあり,かなり弱った状態で入院される方も多く,お看取りも多くありました.
日々,お見送りする.まだよく知らない方をお見送りすることも多かったです.けれど,それでも,語弊があるかもしれませんが,好きな仕事でした.「ここに来てくださった方々には,他のどの場所にいるよりもつらくない時間を過ごしてほしい」というのを,みんなで自信を持ってやろうと思っていました.今もあの病院には,やさしい空気が満ちているんだろうな,と思います.
<二人称の死を否定したかった>
――さらに,さかのぼったお話しもお聞かせいただいても?
なんだか身の上話みたいになっちゃうけれど,大丈夫ですか?(笑)
私,5歳くらいからがんを診たいと思っていました.
――それは……早いですね.
早いですね.がんというか,人が亡くなることについて,ずっと考えていたんです.おじいちゃん,おばあちゃんに溺愛されて育って,なんでこの人たちはこんなに溺愛してくれるんだろう,と小さいときから思っていました.近くに住んでいたということもあって,孫の中で自分でも特別感があり.でも,どこかで,おじいちゃん,おばあちゃんはいつかいなくなっちゃうんだなっていうのが,小さいときから怖かったんです.
それはやっぱり,老いた姿とか,腰が曲がった姿とか,そういうのが目で見えることで,儚い存在,先がそんなに長くないんだなっていうのを小さいときから感じていた.今思うと,60歳とかなんですけど.でも,なぜかそんなふうに思っていた.二人との別れをどうしようもないものとしてあきらめたくなかった.いなくなってほしくないなと.
そのころ,テレビで,「救急車は呼んでから到着まで平均11分かかります」っていうのをやっていたんですね.今でも覚えています.11分間も何もできないのか,と.
――5歳のときに.
5歳のときにそう思いました.「11分待つの嫌だよ」.「その11分間になんとかしなきゃ」.「時計の針を戻すようなことができないかな」.そう思ったのがたぶん,最初なんです.
――ナチュラル・ボーン・バイスタンダーですね.
いえ,もっとずっと短絡的というか,自己中というか.私にとっての「二人称の死」を否定したかった,っていうだけなんです.
尊敬する養老孟司先生が,死を看取るということはどんなことか,別れをちゃんとすることの大事さといった話をしてくださったことがあります.子どものころにご自身のお父様が亡くなる間際に,「挨拶しなさい,お父さんに」って言われたけれど,できなかったんだそうです.そこで何も言えなかったことが,その後長い年月をかけて死に対する考えるきっかけになっている,というようなことをおっしゃっていました.
幼い頃の私が祖父母に抱いた感情は自分のためのものでしかなかったので恥ずかしいような思いがずっとあったのですが,大切な人がいて,別れたくないという気持ちは普遍的なもので,そんな思いでいた自分を肯定したいなって思うようになりました.
――当時,「その11分」のために,何をしようと思っていらっしゃったんでしょうか.
そうですね…….
これも恥ずかしい話なんですけれど,子どものころ毎晩,5分くらいかな,祖父母のために祈りながら寝ていました.特定の宗教を持っていたわけではないんですけれど,何か大きな,自分ではどうしようもない力に,少しでもあらがうことができたらいいな,と思っていたんでしょうね.そうだ,お医者さんになれば,11分間抗えるかもしれない,と思いました.親族には医者は誰もいないんですけれど.
<寝るって怖いんですよ>
――私も,小さい頃,同居していた祖母と,寝る前に10回握手するという習慣がありました.なんかそのことを思い出しました.
寝るって,怖いですよね.次があるのかなって思うから.患者さんたちも,寝るのが怖いっておっしゃいます.
――患者さんたち,寝るのが怖いですか.
怖いです.朝目覚めたら,「今日も生きてた」ってほっとする方と,「今日も朝が来てしまった」,ってちょっとがっかりする方,どちらも聞きますけれど,眠れなくなる方は多いし,本当に夜がつらい.夜が長い,とおっしゃる方が多いです.
――普遍的なんですね.でも,その話を知らない人も多い気がします.普遍的なのに知らないということは,「夜がつらい」ということを,隠しているんでしょうか.
隠しているでしょうね.だって,患者さんも家族に言わないし,私たちにもなかなかおっしゃらない.「眠れています」って言うから.
――先生にも言いませんか.
私になんて全然言ってもらえないことが多いですよ.聞けるのは,有能な看護師さんとかです.眠れない夜に,看護師さんに,ぽつりぽつりと話すんです.「夜が長くて怖い」って.私も言われる相手になりたいですけれど,医者には「大丈夫です」とおっしゃる方が多いです.
――そういうのは,先生のところのスタッフというか,チームというか,システムで誰かが拾えばいいということになっているんでしょうか.
誰かが拾うんです.なので,私は,患者さんの夜の様子をすごく聞きたいと思っています.
患者さんも,夜勤も,夜ってきついんですよね.本当に.夜はいい方向に頭が向かないですよね.先生もそうじゃないですか?
――いい方に頭向かないです.
ねえ.変な手紙を書いちゃったりもしましたでしょう? 若いときに.
――お恥ずかしい.そうですね,大体おかしいのは夜ですね.
そう,大体おかしいのは夜なんです.病気でなくてもそうですが,さらに進行がん患者さんの多くは,終末期せん妄を発症します.せん妄は夕方から夜にかけて発症しやすいので,夜,混乱しないように,つらい時間にならないように,眠りを確保するのは緩和ケア医の大切な仕事の一つです.
<人の顔がぜんぜん見えないな>
――医学部に進むまでのお話しもお聞かせいただきたいです.
面白くないと思いますけど(笑).
生まれと育ちは東京なんですが,中1のとき,父がアメリカに転勤になりました.学校が大好きだったから,まったく行きたくなかったんです.アメリカで過ごして,ちょっとアイデンティティクライシスっていうか,「自分は何者なんだ?」みたいになりました.親はまだ赴任期間が残っていたのでアメリカに残ったんですけれど,私は高校を受験して,ひとりで日本に帰ってきたんです.それで,祖父母の家に転がり込んで.
高校の勉強をはじめたら,アメリカに行ったせいかはわからないけれど,勉強がめちゃくちゃ遅れてしまいました.特に理数系がぜんぜんできないんです.もともと素養がないし,素質もないし,ぜんぜんついていけない.英語はできるようになって帰ってきたのですが,文系科目しかできない.けど,医者になりたいという野望は捨てられずにいました.
日本では,理系科目ができないと,医学部にはなかなか進めませんよね.なので,いろいろ考えて,よし,WHOに入ろうと思いました.短絡的ですよね.自分でもそう思いますけれど.
――いや,むしろ,方向がしっかりしていますよね.医者になるために医者になる,みたいな循環論法じゃないし.
国際協力から医療に携わろうと思ったんです.それで,最初に入った大学では,国際関係論というのを専攻しました.だけど……これが全然おもしろくなかった.
――おもしろくなかったですか.
おもしろくなかった.国と国とのパワーバランスが前提にあって,それでこの国を援助するかしないか,仲良くするかしないか,とか.ゲーム理論とか.そういったことをいっぱいやるんです.講義を受けて,ああおもしろくないなあ,って.人の顔がぜんぜん見えないなあと.単に,難しすぎてついていけなかったというのが本当のところなのですが.
それで,やっぱり医学部に行こうと思ったんです.日本では無理なら,アメリカでメディカルスクールに入ろうかなと思いました.それならサイエンスのバックグラウンドがなくても,大学を出た後で入れるかなと…….でも,いくらぐらいかかるかを調べたら,最低でも卒業までに1,600万かかると.
――総額で.
一番安くても.それだと,親に「やっぱり医学部行くからお金出して」とは言えないなと思いました.それならまず働こうと思ったんです.
みんなが就活しているときにもずっと考えていました.私は後で医者になるんだから,最初に働く何年かで,いろいろな人,老若男女に会えるような仕事がいい,そういう仕事って何かな? と.物を売る仕事だとお客さんとしか会えないかな.金融関係やコンサルティングというのが当時すごく流行っていたんですけれど,お金が真ん中にあるとつらいかな,とか.今考えたら本当に無知でとんでもない理論ですけど.ない知識,足りない頭でいろいろと考えて,これはアナウンサーになるべきかな,と思ったんです.そうしたらいろんな人に会えるかな,と.
――いろんな人に会える! なるほど…….
そんな,なるほどって言うようなことじゃないんですよ.
――いえ,着々と進んでいるなというか,目標と行動がきちんとつながっているなあと思いました.人のためになる道はどれか,と.
人のため,って思ったのかな.
――この言い方だと大きすぎますかね.
でも,やっぱり,命がどういうふうに終わっていくかっていうことに,どうしようもなく興味があったんだと思います.小さいときから.怖い,嫌だ,というのと同時に興味があった.
がん細胞だって,もともとは自分の細胞なのに,何で殺すの? って思っていました.どうして人と人とが殺し合うの? みたいなこともずっと思っていました.そんなふうにぐるぐるしていた.その答えが,医者になればもしかしたら見つかるのかなと.自分の根源的な恐れみたいなものが,克服できるかもしれないな,という思いもあったかもしれないです.
医者になった今の私が,なにかわかったわけでも,つかんだわけでも一切ないです.祖父母も亡くなったし.だけど,医学部に入るときに,2人のためだけじゃないよねっていうのにはもちろん気づいていました.私がその2人を大切に思っていたように,みんなも誰かのことは思っているよね,ということに気づいていたんです.相手がいっぱいいる人もいるし,たいして大事な人なんかいないよって思っている人もいるかもしれないけれど,やっぱり大切な誰かに生きていてほしいとか,元気でいてほしいという気持ちは,普遍的なものです.
さっき,アイデンティティクライシスと言いましたけれど,自分がぐらぐらしているときも,それだけは否定できない価値観でした.人間が生きている限り,歴史とか政治とかに関係なく,「そこ」に身を置けたら素敵だな,と思いました.「痛い」って言っている人に,痛くないほうがいいよね,とか,「大事な人がいてほしいよね」っていうところに,いやそれは違うよなんてことは,ないじゃないですか.そこはノークエスチョンじゃないですか.
<あとはずっと,緩和>
――その後,アナウンサーをなさり,お金を貯めて,国内の医学部に学士入学をされたということですね.
3年生への学士編入でした.ちょっと変わった大学だったんでしょうね,学士編入生の多くは理系の研究や仕事を経ていましたが,毎年1,2人だけ変わり種を受け入れてくれたんです.アナウンサー以外に,もと外交官の方とか,僧侶の方とかがいらっしゃったようです.卒業するの,大変でしたけれど.6,7歳年下の同級生に,ひたすら勉強を教えてもらって,なんとか卒業しました.とっても楽しかったです.
そして,卒業して,淀川キリスト教病院に行きました.ホスピスが有名だったので.
――最初からホスピスへ.
ただ,最初の2年はスーパーローテーション制度です.内科,外科,救急など,各科を数ヶ月ずつ研修しました.いろいろぐるぐる回るなかで,ホスピスも見たいからそこに行きました.初期研修後,がんの姿を直接見てみたいと思い,短期間でしたが婦人科で研修した後は,すっと緩和ケアの現場にいます.
<対立の風潮>
――もう少しお聞かせください.がんは,illness trajectory(「病みの軌跡」)が他の病気とちょっと違う,とおっしゃったのが興味深かったです.それは「カプラン・マイヤー曲線が病気ごとに異なる」みたいな話ということでしょうか.
カプラン・マイヤー曲線は生存率の統計グラフですが,illness trajectoryは診断から亡くなるまでの生活の模式図,概念図のようなものです.私たちも,みんな生まれた瞬間から右肩下がりの「曲線」の上にいるんですよね.たまたまがんであるとわかってステージングされると可視化される.ただ,目に見えると切ないし,限界を意識しなければいけなくなる.やっぱりがんってちょっと特殊ですよね.
――たとえば心不全のように,良くなったり悪くなったりを繰り返しながら,あるとき,とんとんと悪くなる,みたいな病気もありますよね.
最近は,心不全の領域でも緩和ケアがすごく進んできています.でも,皆さんやっぱり予後予測が難しいっておっしゃいます.本当に難しいんでしょうね.
――むしろ,ほかの病気に比べると,がんの予後予測のほうが「比較的簡単」ということなんでしょうか.
そうですね.ただ,よく言われることなんですけれど,治療医の先生方がなさっている予後予測はたいてい甘いっていうか,楽観的なことが多いです.
――そうなんですか.
それはデータで出ています.患者さんとご家族の希望によって,「日にちの単位か,週の単位か,月の単位か」みたいなことを,予後予測指標を用いてお話しすることがありますが,「えっ?」って驚く方も多いです.
――それは……そのずれは,もともと見ていた医者にはフィードバックはできないですよね.
できないですね.
でも,別にそれでいいような気もします.
――それでいいですか.
そうですね.緩和ケアの医療者から,「治療医たちはもっと患者に寄り添ってほしい」というような意見を聞くこともあります.患者さんのそばにいて,もっと患者さんのことを理解しなきゃだめだ,みたいな.でも,私,そうは思わないんです.治療医のみなさんは,ものすごくよくやっていらっしゃると思います.本当にがんばっていると思います.なのに,なんだか少し,治療科と緩和ケア科との間に少しだけ対立構造が見えることがあります.
――何と何が対立しているんでしょうか.
うーん,患者さんを治療に駆り立てる医療者と,患者さんに寄り添わなきゃいけないという考え方との,足並みが揃っていないんじゃないか,と指摘したがる風潮というか.
――そこはむしろ,複数あっていいというか,揃っていなくてもいいんじゃないか,ということでしょうか.
そもそも,緩和ケアは治療科と「別のところで行われているもの」じゃないですよね.緩和ケアはぜんぜん特別なものじゃないので.患者さんを真ん中に,医療者がさまざまな角度から知恵を絞っていくことは,理想的ながん診療の姿だと思っています.
<なんで好き好んでその科を?>
――先程質問させていただいたなかで,緩和ケア医として必要なスキルのところに,敏感さと鈍感さが両方あるというのがおもしろかったです.
医療者以外の人に,「緩和ケアをやってます」っていうと,「大変でしょう」とか,「滅入らない?」とか,よく聞かれます.
でも私,滅入ったことはないんです.悲しいし,ぽっかりするけれど,鈍感なんですよね,たぶん.いろいろ考えると,結論は「鈍感」なんです.敏感でありつつも,どこかで鈍感でないとできないと思う.
この仕事を続けて自分を守るためには,どこかで鈍感でないといけません.だって,患者さんは家族じゃないですからね.そうなっていたら続かないです.私はプロフェッショナルとしてここにいるんだ,っていう意味で鈍感じゃなきゃいけない部分がある.鈍感というか,冷静というか.
だけど,同時に,アンテナを研ぎ澄まして,この人の全部を診なきゃいけないっていうのも同時にある.それが共存できて,しかも自分がすり減らないっていうこと.もし私が緩和ケア医に向いているんだとしたら,すり減っていないという部分です.きっと.
<本当にすてきなことをいっぱい>
――今,お仕事で用いられている「武器」はなんでしょうか.
武器ですか.武器なんかないですよ.
――スタンスというか.
スタンス?
――心がけ……尾阪先生がしっくり来るまで言いますが(笑),病院で緩和ケア医として働かれている中で,何に頼っているか,何に背中を預けているか.
患者さんの「S」.
――S?
SOAPの,S.が,大好きなんですよ.
(※カルテの記載方法のひとつ.診察のときに得た情報を,SOAP: Subjective(患者の主観的な表現), Objective(客観的な所見), Assessment(現在の状態の解釈), Plan(今後の方針)に分けて記載すること.)
――おお.
医者はだいたい,カルテのSっていうと,「痛みはない」「眠れた」とかって書いている人が多いです.でも,患者さんはそうは言ってないんですよ.絶対.痛いですかってこちらが聞いて,痛くないですって答えたから「痛みはない」って,それ,もうSじゃないので.前の病院でも,なるべく患者さんの言葉をそのまま書くというのを,自分の中の勝手な決まりごとにしていました.私,そんなに記憶力よくないし,全部書いていました.
――すばらしいですね.
いえ,全くすばらしくないんです.Sが長くてカルテが読みにくいとか,ナースからも「今日の夜勤は先生の壮大な読み物を読みます」みたいにいじられる(笑).「今日はすごいよ,長編だよ」とか言いながらやっていたんですけれど,いつも,最後の言葉かもしれないって思いながら書いていたんです.
患者さんって,本当にすてきなことをいっぱいおっしゃるので.いつもじゃないですけれど,それを探す,みたいな感じですね.自分の売りでもなんでもないですけれど.自己満足ですよ.
――神髄だなって思いました.
そういうふうに言ってくれた人はあまりいないですけれど.でも,長いよとか言われますけれど,私にとっては大事なことです.ただ,今は科の責任者になってしまったので,患者さんお一人お一人のSをお聞きする機会がすごく減ってしまいました.それでも,少なくとも外来では,患者さんの言ったことは残し続けようと思っています.
「話を聞くだけなら誰にでもできる」という意見もあると思います.検査,診察,病状説明,カンファレンス,書類仕事…,どんなお仕事も同じだと思いますが,医師の仕事も,いろいろ細々としたものがたくさんあって,時間は有限ですから.
それでも学生さんや若い医療者たちには,「患者さんの声を聴いてください」と伝えています.患者さんは,病気になって,仕事や家庭での役割が変わったり,本当は自分が続けたかったことを諦めたり,悔しい思いや戸惑いを皆,感じておられる.病気が進んで,外出が難しくなると,一人で移動することができなくなり,もっと進むと,日常生活の多くを誰かの手を借りてやることになる.昨日までできたことが今日はできない,という,急激な役割と機能の喪失に直面しておられます.入院や介護の費用は日々かかるので,「生きているだけでお金がかかる」と,何もできなくなった無力感に苦しまれる方も多いです.そんな絶望に圧倒されて,どんな言葉をかければいいのかわからなくなってしまうという気持ちはわかりますが,患者さんは患者である以前に,母であり父であり,あるいは人生の先輩であり,出会うべくして出会っているので,これからも一生懸命声を聴いていきたいと思います.
<そこにいただけですごい>
――人生のとても大事な時期にお話しを聞く「特権」をお持ちだということもそうですし,ほかにも,患者と家族がさいごに看取り看取られる,そのタイミングを支えるお仕事をされていることも,本当に尊敬します.
尊敬されるべきなのかどうか,わかんないです.私,別に,選ばれてそこにいるわけじゃないですし.ただ,たとえば,患者さんがナースや若い医師に向かって「まだ生きていたいのになんでいかなきゃいけないの?」っておっしゃったりして,「何とお返事したらいいかわからない」という場面って,しばしばあると思います.
――そうですよね…….
何も言葉を返せない自分,役に立ってあげられない自分に打ちひしがれて,この仕事をもう続けられないって思って仕事を離れてしまう医療者は,けっこういるんです.バーンアウトと呼ばれたりします.
でも,私は,「そこにいただけですごいよ」と思う.その話を聞いただけでもすごいよ,そこでなにもできなかったなんて思わなくていいよ,って.
私が研修医のとき,ホスピスの師長だった田村恵子さんっていう方に励ましていただいたんです.「患者さんのこと,全部わかるわけないやん」「何かしてあげようなんて思わないでええんちゃう?」「そばにいて,話を聞くことを許されたと思ったらいいよ」.
――「感情をぶつける相手として認められた,いていいよって許された」ということなんですね.
そうなんです.私はまだ未熟で,言葉が出なくなってしまう瞬間もあるのですが,そんなときはいつもこの言葉を思い出しています.
いろんなものが巡り巡って私は今ここにいて,この話を聞けたんだなと思ったら,なにかに選ばれたんだな,と思うようにしています.
<それを大変と思ったら>
――話を聞くというのはとても難しいことだろうなと思います.「痛くないですか?」とたずねて,「痛くないです」と答えられたとして,それはもう「S」ではないというお話.話しかけた最初のひとことでだいぶ誘導してしまう,ということですよね.無垢な患者さん自身を引き出すにはどうしたらいいのか.
そもそも,新たに出会う患者が,「これから何を話すかまったくわからない」という状態で外来に向かうのって,緩和ケア医,大変じゃないのかな,と思いますが,いかがでしょうか.
それを大変と思ったら……やらないほうがいいと思います.
――なるほど.
おもしろいですよ.忘れられない人がいっぱいいて,自分の中にストックされていくのって,すてきなことですよね.
弁護士の方だったと思います……ある男性の患者さんがいました.威厳のある方で,回診に伺うといつも姿勢を正して迎えてくださいました.奥様がいて,毎日決まった時間にいらっしゃり,入院環境でもご自身の規則正しい生活を守っていらっしゃった.病棟の中でもジェントルマンみたいな感じで見られていた.
その方が,本当にあともう少し,もうあまりお時間がなくなってきた,というころの話です.
いつものように言葉を交わして,診察をしていると,ふとその方が「先生,今日も行ってしまうんですね」って.「え?」って言ったら,「先生は足を診たら出ていっちゃうでしょう」っておっしゃったんです.
私,自分の回診での話しかたや診察に,特にルーティンはないと思っていたんですけれど,どうやら診察の最後に足を診るみたいなんですね.意識したことはなかったんですが.最後に掛け物をちょっとはがして,足を診察する.足っていろんなことがわかりますからね.
「だから,足を診られたら,がっかりする」って言われて.
そんなジェントルマンが,私が出ていったらがっかりするんだ,って,ちょっとうれしかったのがひとつ.それと,そうか,私も通り一遍なことをしちゃってるんだなっていう反省.あと,もしかしたら,そろそろ病室を出ようとするときに足を診るとそのまま帰りやすい・出ていきやすいみたいなのもあったのかな,とか.
患者さんは,おっしゃることのさらに100倍くらい感じているのかもしれない,とか.
そうなってくると,かける言葉の一つひとつにも慎重さが必要になりますけど,もう,怖くない,行くしかない,って思いますよね.
――いい話ですね.
そうですか.
――それをしゃべれる関係がおしゃれだなと思って.
いいですよね.私,すごくうれしかった.そんなの言う方だと思ってなかったから.
――その次にベッドサイドに行かれたときのことって覚えていらっしゃいますか?
次からはもう,全然違います.「今日は足から診ます」って言いながら.
――かっこいい.いいですね.本当にいい.すばらしいですね.ちょっと泣きそうです.すごい話だな.
かっこよくはないですけど,そうきたか,とね.おもしろいですよね.忘れられないですよね.
――そういうのが蓄積するんですね.
そう,蓄積するんです.
もっとも,嫌なこともいっぱいありますし,怒鳴られることもありましたけど,そういうことは全然覚えてないですね.仕方がないかなって思ってます.

