自称学者の示威と自慰

30|10

病理診断を書くにあたって、いろんな施設でいろんなルールがある。取扱い規約事項を箇条書きにするときは改行しようとか、逆にするなとか、肉眼所見と組織所見は分けて書こうとか、べつにそこまでしなくていいとか……。

施設ごとに代々受け継がれてきたルールがあるとき、後から入ってきた人は、むやみやたらとその書式を変えないほうがいい。なぜなら、その施設に勤める「病理診断を読む側の人」、つまり臨床医たちは、その施設でこれまで採用されてきた病理診断の書式に慣れているからだ。

人が書いた文章を読むには手間と時間がかかる。なるべく早く、書き手のくせとかルールに自分を合わせて、ストレスを減らすようにしておかないと、肝心の内容が頭に入ってくる前にいろいろなことが気になったり、大きく回り道をしなければならなくなったりする。

だからあんまりいじらないほうがいい。

その上であえて一言。

診断の欄にそれだけ長くだらだら書いておいて、所見の欄でもまた同じことを違う言葉でだらだら書くのは誰のため?

細胞所見の欄をほぼ100%「核の腫大した」で書き始める人はそれがすでに読み飛ばされてるってことに気づいてないの?

Probableとsuspectedだとprobableのほうが確からしい、みたいな英語のルールを日本でなんの説明もなく使う理由は何? 自分が英語に詳しいことを病理診断の場でひけらかしたいの?

病理診断なんてものは好きに書けばいいのだ、望まれるルールは、「読み手が間違いなく情報を取れること」、それと、「あとで使えるデータとして記録されること」のふたつ。ろくでもない病理医は、後者のことばかりを気にして前者をおろそかにする。なんでそんなに読みにくい文章を書いて胸を張っていられるのだ。そのうちAIに修正されるようになるだろうから、まあ、現代だけに見られる悲しい個性発露といったところなのかもしれないが。

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