ものは見よう

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「ものは言いよう」などというが、病理診断をやる現場にいると、「ものは見よう」だなと感じることがままある。珍しい症例を珍しいと感じて終わりにするのではなく、そこをさらに「巧みに見る」ことで、その症例からたくさんの知恵が滲み出してくる。その知恵は、患者それ自身になにかいいことをもたらすこともあるし、まだ見ぬたくさんの患者、あるいは過去にいたもっとたくさんの患者の、症状、所見、様相に、別のかたちでの回答を与えてくれたりもする。

真実がいくつあるかは問題ではなく、真実をいくつ見出すかなのかなと思うことはある。それは複雑系に暮らす我々の作法のひとつなのだ。

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