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病気が治るというのも、思えばなかなかむずかしい概念だ。どうなると「治った」ことになるのか。元通りの生活ができたら? 痛みも苦しみもなくなったら?
今からすごくいやらしいことを言う。
「一度病気になると、その人はしばらくの間、『またあの病気になったらどうしよう』という気持ちになる」
かれこれ10年くらい前、けっこう厳し目の腰痛をはじめて発症し、困り果てていろいろな対策をして、なんとか痛みが引いてはきたものの、「油断するとまた腰が痛くなる」と感じて、枕を変えたり椅子の高さを変えたりと、かなり長い間、腰痛防止の対策に追われることとなった。もう腰は痛んでいない、しかし腰痛を知らなかったときの自分ではない。
これは、治ったことになるのだろうか。
痛みが引いたんだからそれでいいじゃない、というのが普通の思考なのかもしれない。でも、痛みを知ったあとの自分は、病気になる前とは別の人格になっていて、元には戻らないし、元通りになる必要もないのかも……と思う。
血圧が高くなる。コレステロールが高くなる。薬を飲んで「治った!」とはならない。そこからはずっと、「自分はこういう生活をすると血圧が高くなる体質なんだな」と知って、予防を重ねていかなければいけない。
新型コロナウイルスに罹患する。熱が出て咳がとまらず苦しい目にあう。10日ほど経って、とりあえず体のだるさは取れてきた。そこからはずっと、「人混みではマスクをしようかな」という気持ちになる。だんだんあのつらさを忘れていくのだけれど、心のどこかに、予防を続けていこうかなという気持ちは残り続けている。
これらは、「治った」ことになるのだろうか。少なくとも、元の自分には戻っていない。
「がんサバイバー」などと呼ばれる人たちがいる。たくさんのがんがあり、人それぞれの経験があるから、統一した呼称でまとめて呼びかけることにそもそも私は抵抗があるのだが、聞くところによると、「がんサバイバー」には少なくとも二種類のタイプがいるのだという。
ひとつは、「元通りになる」ひとたち。がんが体から消え去り、再発のリスクもないと言われて以降、がんであったときの辛さをだんだん忘れていく人たち。
もうひとつは、「元通りにならない」ひとたち。がんは体から消えても、がんであったときの自分のことが忘れられず、立ち居振る舞いや世界の見方も少し変わったという人たち。
後者であることは、必ずしもネガティブな意味を持つわけではない。
病気をきっかけとして、死ぬということ、生きるということにかんする、その人なりの考え方を手に入れ、「生まれ変わったような気持ちで」日々をつむいでいく。それは「元通り」ではない。しかし、悲しむべきことでもないのだろう。
「元に戻れない」という言葉は、重い。しかし、そもそもそういうものなんだよな、という気もする。そうだとわかった上で、日々をどうするか、という話なのかもな、という気もする。