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当院にバイトに来てくれる病理医はみんな優秀だ。私よりだいぶ若いのだが、限られた時間で標本を丹念に見て、細かいリンパ管侵襲像とか偶発別病変などをきちんと見つけてくれる。外の先生方が見たプレパラートをあとで見ると、私とはちょっと感覚の違うところにマーカーで点を打っていることがある。なるほど、ここに着目して、ここからこうやって論を展開して報告書を書いたのだな、ということが物言わぬプレパラートから伝わってくる……が、診断者には別に口が付いているのだから、直接おたずねすればもっとよくわかるわけで、別にプレパラートからすべてを読み取らなくてもよい。まあ、顕微鏡だけでいろいろわかるとかっこいいけどな。かっこいい以外のメリットはそんなに多くはないんだよな。
「そういえばうっかり、患者のアレコレのことについて書き忘れていました」みたいな臨床医と仕事をするときに、ちょっと役に立つ、くらい。顕微鏡だけでものをわかる必要はない。それより主治医やほかの病理医たちとコミュニケーションするほうがよっぽど大事だ。
ただし、病理診断におけるコミュニケーションというのは、人と人が仲良くすることを目的としているわけではない。つまり、我々が普段、社交の一環として行うコミュニケーションとはちょっと性格が異なる。お互いに本音を隠しながらさぐりさぐり人間性を交わらせていきほどよく傷つかずほどよくお互いを立てほどよく驚かせほどよく驚き最終的にマブな関係を目指す、みたいな最高難易度パッチ修正済みときメモみたいなことは一切しなくていい。診療に重要な情報さえ交換できればいい。早口だからと言って怒られない。相手の目を見ないからと言って怒られない。相手の目を見すぎだと言って怒られない。「私がなんで怒っているかわかる?」みたいな質問が出た時点で詰んでいるような展開は起こらない。私は病理診断におけるコミュニケーションであれば100点満点中250点を日常的に叩き出す人間だが、病院の玄関を一歩出たとたんに社会人としてのコミュニケーションは優良化不可でいうところの不可不可ベッド。なんでいまベッド付いたん? コミュニケーション能力なんてなくても病理医にはなれる。病理医として求められる別種のコミュニケーションだけはせっせとやることになるが、これはぜんぜん、ときメモより楽勝なので心配しなくていい。