9|3
午前中いっぱいかかってかなり重い診断をマッピング付きでゆっくりゆっくりすすめる。3時間かけて「1」だ。そういう日もある。午後は受講が義務付けられているファイルを確認したり郵便物を仕分けて返事を書いたり、研修医の抄録に手入れをしたりほかのスタッフの診断をチラ見したり、迅速を1件こなしたりインフルエンザのワクチンを打ったりしているうちに過ぎていった。インフルとコロナのワクチンいっしょに打てたら便利なのになあ。
夕方、循環器内科の外来を受診する。もう2年くらい前になるのだが夜間の胸痛が何ヶ月かおきに数回あったので試しにと思って受診したらけっこう大事になってたくさん検査をすることになり、結果、攣縮するタイプの狭心症疑いということで継続フォローになったのである。それ以来私は生活に気を配り運動が不足しすぎないようにスケジュールを組み、食事はもともと薄味好みだったからそんなに変えなくてよかったのだけれど酒は少し減らしたほうがいいかもしれないな、みたいなことを毎日考えるようになったが実際に生活はほぼ変わらなかった。数ヶ月おきに主治医に報告をし新しい薬をもらう。ちょっとだけ血圧を下げつつわずかに狭心症を予防する効果があるかもしれないという薬を飲み続けている。飲んでもなおたまに胸痛は起こるのでそういうときにはニトロペンを舌下で入れてしばらく待っていると胸痛はすっとよくなる、のだが、これがニトロペンのせいなのか安静のせいなのかはいまだによくわからない。ほっておいても治るなら何もしなくてもよいのかなと思っていると、「でも狭心痛を放置して不整脈が出てもいやなので、痛みが出たらさっとおくすり飲んじゃったほうがいいかもですね」と言われて、ははあこれはまさに本物のさじ加減というやつだなと納得をした。
がんとはぜんぜん違うなと感じた。しかし、がんにもこういうところがある気もする。自分が患者になって見える病院のテクスチャというのはほんとうに複雑で、外に立って・上に立って・下にもぐりこんで病院を語るのとはぜんぜん違った語りになることを私自身自覚している。あらゆる病気についてこれくらい「自分ごと」にできたら、それは、理想だろうか? いやいや、かえって自分ごとにしすぎると視野狭窄して過剰感情移入して語りづらくなってしまう、だろうか? それこそさじ加減だよなあ。次回の外来は3か月後。