13|7
電話もメールもきちんと鳴り止むが、叱咤の声は鳴り止まない。がんばれ! がんばれ! ちっきしょううるせぇなあ。わかったよがんばるよ。でも本当はがんばれを言っているのも聞いているのも同じ私なのだ。さみしい話だ。外注用の未染をオーダー。外注用の未染をオーダーするための鏡検。外注用の未染をオーダー。三人の異なる患者に似たようなことをする。指差し確認、書いて確認、二重確認。取り違えだけはぜったいに避けなければならない。でも人は必ず間違う生き物なので、システムで間違いを拾わなければならない。すなわち私はシステムがきちんと稼働していることを今日も確認しなければならない。システムに不備があることだけはぜったいに避けなければならない。人は必ず間違う生き物なのでシステムが間違う可能性をシステムで拾わなければならない。がんばれ! がんばれ! ひとつめのがんばれとふたつめのがんばれは同じように見えて違うよ。うそだけど。ぜんぜん関係ないけれど、今、「間違う」をキータッチし続けて「街が湯」と変換された。別府のことかしら?
学会発表と講演で、似たようなお題ながら少しずつ違う内容を、これから数ヶ月の間に4回ほど話す。こういう場合、私はまず「大きなプレゼンをひとつつくる」。骨というか梁になるような「元プレゼン」を作ってから4つのプレゼンに分割するのである。こうすると4回それぞれちょっとずつ違うことをしゃべることができる。違う場所で違う相手に対してしゃべるからと言って毎回同じことをしゃべってはだめだ。なにせオンライン全盛時代だから土地とか主催とか関係なく全部聞きに来る人がいるから。使いまわしはできないのである。なるべく内容を変える。渾身のプレゼンをひとつ作ってからそれを変化させてまた次のプレゼンにするというやり方はつらい。しんどい。一度これでいいだろうと納得して完成させたものを、マイナーチェンジさせてさらに進化させるというのはわりと大変である。ていうかそれが簡単なら最初のプレゼンの時点で甘さがあったということだからね。というわけで、4つ講演を作るなら、4倍の内容を含んだ1つのプレゼンをまず作って、均等に4つに分けるというやり方が「概念として簡単」である。ただ、まあ、概念としては簡単だが、手間はかかる。それはそうである。手を動かすのに時間がかかる。目を動かすのにも時間がかかる。それでもこの方法をとるのは、「脳を動かすのが少しだけ楽」だからだ。腰は死ぬが脳は死なない。そのほうがいい。
クロマチン量が多くて、N/C比も高くて、相互封入のような像もあって。なるほどこれは悪性でよさそうですね。はい、次の症例。クロマチン量が多くて、N/C比も高くて、相互封入のような像もあって。うん、これも悪性でよさそうですね。最初の症例と次の症例は、患者の性別も、臓器の種類も、細胞の組織型もぜんぶ違うのだけれど、細胞診をチェックするときには、なんだかぜんぶ似たような言葉に収斂してしまう。細かなニュアンスどころかおおづかみの雰囲気もまるで違うはずなのに、「悪性」、すなわち「がん」という診断をくだすにあたって決定的な仕事をするべき言葉の種類はそんなにない。ぶっちゃけ、細胞を悪性と確定するときには、似たような言葉、限られたイディオムを延々とくりかえすことを覚悟する。できればひとりひとりの患者、ひとつひとつの細胞ごとに違う言葉をあてはめてみたいなと毎日欲をかくのだけれど、それだと読むほう(主治医)が毎回異なる文章から結論を拾わなければいけなくて大変だ。実践的ではない。現場のコミュニケーションのためにはあるていど決まった言い回しを使いまわしたほうが便利。ここにジレンマがある。そこを乗り越える。
外注! 外注! コンサルテーション! ひとつとして同じではない症例たちに似たようなムーブをばちばち当てていく。今日はあんまり診断していない。事務作業ばかりしている。プレゼンが1つ完成した。4つに分けるのは明日にしよう。PCを閉じながら1つのプレゼンを4つに分ける準備を心の中で進めている。どうもこれだと3つくらいにしか分けられないのではないかということが、こっそりと気になっている。作り足さないとだめかなあ。概念がめんどうくさいなあ。