インドで鷲もかんがえた

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先日、某大学で講義をする機会があった。TA(ティーチング・アシスタント)についてくださった大学院修士課程の方とお目にかかったのは三回目か、四回目か、とにかく向こうもこちらもお互いに顔を覚えていて、気軽でよかった。講義がはじまるまでの20分くらい、講座の会議室にてすこし雑談をしたのだが、その際、「このあいだ、インドに行ってきました」というので、それはすごいなと思ってさっそくお話しをうかがった。

彼女は研修の機会をもらって、インドの病院を見学したのだという。インドの南部にあって、日本の資本が投入されている、比較的しっかりした病院を、2週間程度見学されたとのこと。なまった英語で爆速の説明をされて大変だったらしいが、しかしいろいろと思うところがあったとのこと。ああ、いかにもいい体験談ではないか。

食べ物はどうでしたか。飲み物、あとは、トイレとか。

先日、私が中国に行ったときも、やはり生活の話が気になったし、そういうところは大事だよなと。

しかしそれ以上に印象に残ったのは、「格差」の話だ。インドでは今も身分制度が社会にがっちり食い込んでいるわけだが、看護師と医師、それぞれの職業の間にある格差もかなり激しいという。それはどういう意味ですか、とたずねると、そもそもインドでは「血を扱う・血にふれる職業は下賤(※私の表現です。TAの方がこう言ったわけではない)」とされているらしく、看護師というのもそのような、血にふれる仕事だから身分が低い、みたいな感覚なのだそうだ。

ええそれはひどいですね。でも、医師だって血にふれるのにね。

その格差によって、医師と看護師との間のコミュニケーションがまったくない、というのが、彼女がみた「インドのとある病院の医療」の現実だったという。短い滞在でそこまで見極めてくる観察眼の鋭さに驚く。

身分があってひどいよね、の先というか、そのことによって医療というサービスが被る実害のようなものを彼女はしっかりと目に焼き付けてきたのであった。まあ、そのことで実際に医療のレベルがどれだけ低くなるのかはわからないんだけど、でも、私達からすると、「もったいないな」と感じてしまうことは否めない。

まあ、でも、だから、それだけをもって、インドの医療が劣っているなんて絶対に言えない、ということを、私は講義でも話したのだけれど。

「インドを経たんで、もうこれからは、どこに行ってもやっていけそうです!」と胸を貼る彼女は輝いていた。いい体験だなあ。

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