あかるいみらい

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私の後任の人事調整を進めている。旧知の病理医であり、私より少し若いが私より圧倒的に学術実績があるので、勤め先は喜ぶだろう。臨床医たちはもちろん、総務課や経営陣にとってもよいことだと思う。

先日、某所で「AIが医師の価値をどう変えていくか」という、もうなんだか聞き飽きた話がまた蒸し返されていて、それに一部の医師が、

「私のやっている手技は複雑なので、ロボットとAIがかなり進歩してもたぶん人間がやらないと無理だろうと思う、今後30年くらいは」

と答えていた。つまりこの医師は自分の価値が「脳の調整をきちんと受けた手先(の器用さ)」にあると述べているわけだ。

しかし、器用さという点でいうならば、看護師などのほうがよほど器用であろう。

医師としての知識や経験の部分をAIが代替してくれさえすれば、医師の手技こそは看護師などにタスクシフトすればいい。「人がやらなければいけないこと」はなくならないが、「それをやるのが医師である必要性」がぐんぐん下がっていく。「私の手技はロボットには難しいから医師の仕事はなくならない」というのはAIの本当の意味をあまりちゃんとわかっていないのだと思う。

そして私がかねがね言っていること。「病理医こそはなくならない職業」だということ。AIがどれだけエビデンスを補完しても、その結果を臨床医に伝えるエージェントとしての存在が必要なことはもう、なんか、よくわかった。病理医は人でなければならないし、医者でなければならない。

ただしその給料がいままでの医者と同じ額である必要はないと思う。今後、AIが普及しても、医師としての厳しい修行を越えた先で、ベーシックインカムくらいの稼ぎを得られる職業としての「病理医」という立場は残るだろう。私はおそらくそこに立っている。なり手は減るだろう。みんなお金が大事だからだ。そうして希少価値が高まり、私の自尊心は満たされ、貯金残高はゼロになる。

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