堕楽ということ

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海外からのコンサルテーションがあり、バーチャルスライド(PCで表示・拡大・縮小・回転などができるバーチャルなプレパラート)が送られてきた。1枚につき2GBくらいの容量があり、5G回線とはなんだったのかと言いながらダウンロードを待つ。その間に長い長いメールを読む。メールを読み終わるころにはなんとなく診断が思い浮かんでいる。質問者の「勘違い」にもなんとなくピンと来はじめている。

ようやくダウンロードが終わったプレパラートを見て、質問者の疑問に回答する。質問者は病変のありかに気づいていない。全く別の場所を見て、「この粘膜の部分に細胞異型がありますか? 私にはわからないのですが」みたいなことを書き記している。そもそも、そこにはないのだ。そこではないのだ。見るべきは違う場所だ。そして、このことは、あなたがメールの中に長く書いた内容をちゃんと読めば想像がつく。つまりこれは「顕微鏡力」で解決するものではなくて、「文章読解力」が問われる問題なのである。臨床医の言う事を、噛みしめるように理解していれば、顕微鏡を見るまでもなく、プレパラートのどこに気を配ればいいかが見えてくる。

結論は出た。ただ、このことをコンサルテーションで、おまけに英語でうまく伝えるのは難しい―――

―――と、かつては思っていたが、今はなんかAIに日本語を投げて翻訳させればなんとかなってしまう。AIによって私はとても助かっているし、ある意味、甘やかされすぎていてちょっと劣化してきているようにも思う。昔はこういうとき、さまざまな教科書や論文を引っ張りながら、ちょっとでも説得力のある表現を借りてこようと、「英借文」のための努力に必死だった。その勉強がまた次の役にも立った。しかし今や、なんでもかんでもAIだのみである。楽になると堕落するなあ。

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