言語化までに至らなかった

24|10

1時間半が経過して予定の半分くらいしか終わっていなかった。3時間コースである。某大学のスタッフたちと、オンラインで症例の検討。1年ちょっと前にいちど画像も病理も見た症例だ。その後、大学で各種の遺伝子解析が施行され、その結果のフィードバックを受けながらふたたび顕微鏡像を見るのである。

遺伝子解析の結果が出る前にはわからなかった所見にいくつか気づくようになっている。これは、遺伝子のおかげでわかったというよりも、私がこの1年、この領域に興味をもって勉強したからなんだろうな、という予感がある。ということはつまり、1年前に私を頼って病理の相談をしてきた人たちには、今よりもなお未熟な私の意見までしか伝えられていなかったということになるので、こうして再び顕微鏡像を目の前にして、解説をしているうちに、なんというか申し訳ない気持ちになる。いつも不完全でごめんね、いつも言い足りなくてごめんね、と思いながら組織病理学的な解説をする。

遺伝子変異の結果がとっぴだ。興味深い。なぜこうなるのだろう。閃光がいくつか走ったかのようにハッとなって、顕微鏡で見た像の意味がいきなり2倍くらいに増える。なるほどこの細胞の増殖パターンにはこういう秩序があったのか。まったく気づかなかった。そういうことだったのか。蒙が啓いていく。そして、心の中では、「あっわかった!」となっているのに、脳の中ではうまく言語化できず、口の中ではモゴモゴとなって、Zoomの外には伝達できない。「ちょっと待っていてくださいね……なんとか言語化してみます……」。

結局この日、言語化までには至らなかった。ふがいない。申し訳ない。でもなんか、もうちょっとなんじゃないかな、という気がする。

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