1と2と

15|10

数字じゃない忙しさがある。たとえば朝からがんの患者を何名病理診断したといえばそれはすごくわかりやすい忙しさだし、実際そうやってへとへとになる日もあるのだけれど、たったひとりの、がんでない病気で苦しんでいる人のプレパラートを前に、何時間も唸って、数字上それは実績としては「1件」ということになるんだけど、その「1」のために、昨日も今日も明日もひどく悩み苦しむ、ということは、この仕事をしていると、ままある。

ただまあそれは当然のことなのだ。なにせ、診断を受けるほうからすると、全員が「自分という1」のことで頭がいっぱいになっているはずである。つまり私達は、診断をするほうもされるほうも「1の重み」を自覚しなければいけないし、いやでも実感させられる。また、ときには、「自分プラス少数の身の回りの人」という、「3」とか「4」くらいのことで一生悩まなければいけないのが人間である。病理診断もまた、「1人の患者」と、「その1人にずっと付き合っている1人の主治医」のこと、つまりは「2」くらいのことを考えているときが、一番きつかったりする。人間も人生もだいたい「2」くらいが魔の数字というか、「2」くらいが悩みのタネになりがちだと思う。ましてや、がん診断においてをや。

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