『がんユニ』看護師・秋山さんとのお話。

※毎週火曜日、書籍『がんユニバーシティ』で行ったインタビューの、「編集中の原稿」を全文公開します。書籍版ではここから大幅に編集をし、各先生方からの寄稿をはじめとするたくさんの文章をコラム的に散りばめて、一冊の本にまとめます。このブログでは、インタビュアー(市原)が興奮し続けた「生の雰囲気」、編集前の原稿だけが持つ猛烈な(ちょっと読みづらい?笑)エネルギーを味わっていただきたいと思います。

科目名:      病院外でのケア

講師:         秋山 正子 先生(認定NPO法人マギーズ東京 共同代表理事)

テーマ:       「進むべき道を見出すための、聞いてもらえる場所」

学期:           3年前期

Dialogue

<どうしたらこんなにきれいな状態で見送れるのですか?>

―――本日はよろしくお願いします.市原と申します.病理医をやっております.

 病理解剖はなさるのですか?

―――はい.昔ほどではないですが.

 そんなにたくさんではないのですね.

―――減ってきましたね.私は今47歳ですが,生涯の通算でも400とか500といった数しか解剖はできないと思います.現在65歳以上の病理医の先生方は,2000件とか3000件とかの解剖をなさってきた世代ですが,それに比べると今は依頼件数が少ないです.

 検査機器の性能が上がったから.CTの3次元モードなどを見ると,実際の画像とほとんど同じですものね.でも,やはり開けてみると,違いもあるなと思ったりします.

 ―――そうですね.違うものを提示できるかなとは思っております.

 私は,1992年から本格的に訪問看護の道に入りました.当時は在宅医療や在宅ケアが全くの黎明期で,「在宅の医療にはエビデンスがない」と言われるような状態でした.しかし,在宅ホスピスに取り組む医師と共に,訪問看護に出て,在宅で亡くなった方の協力を得て,病理解剖をさせてもらっていました.もともと入院していた病院に移送して解剖するのです.私も,自分の受け持ちの患者さんの解剖に立ち会いました.

 ある,膵臓がん末期の方が,都内の有名な大学病院にいらっしゃいました.その方は,腹水が溜まらないように輸液を絞っていたんですね.今でこそ当たり前ですが,当時はまだめずらしい方針だったと思います.その方は,家に戻って経口摂取ができなくなると,枯れるように亡くなりました.

 元の大学病院に運んで解剖してみると,300 ccほどの,生理的な水分量よりは少し多い,くらいの水が溜まっていました.あれだけ絞って,水浸しになることは避けられたけれど,多少は溜まるのだな……と思いました.

 その方は,あまりにきれいなご遺体だったということで,解剖を担当された病理の先生が,研修医10人くらいに見せていらっしゃいました.「どうしたらこんなにきれいな状態で見送れるのか,何をしたんですか?」とたずねられましたね.在宅の主治医も同席していて,「病院ではなく家に連れて帰って,今までケアをして,亡くなられたんですよ」という話をしました.それが1992年か,93年か.

 病理の先生が黙々と臓器を取り出して重さを図るのを横で記録する,そういう病理解剖の現場で,「これを若い人に見せたいんです」とおっしゃったのが,すごく印象的でした.他にも何人か,在宅で亡くなった方を病院に運んで,解剖に立ち会わせていただきました.

―――そうでしたか…….普段,病気しか見ていない病理医の立場からすると,その病理医も,解剖というつながりを通じて患者さんに近づけて,うれしかったんだろうなと感じます.

 その患者さんは海外の商社にお勤めの方でした.主治医から,「私たちも学ぶことが多いので,解剖をお願いできないか」と言われたとき,「自分は理系だし,何がどうなっているか知りたい.娘にしっかり結果を聞くように言ってくれ」と承諾されたそうです.そういうご協力が得られて解剖に至ったんですね.

 当時は,解剖に立ち会う訪問看護師というのは,ほとんどいませんでしたが…….

―――すばらしいですね.訪問看護から解剖にまでつなげるなんて.私が今,在宅で診られていた方の解剖を経験するとしたら,ご自宅で急変され,市中病院に搬送されて亡くなった方,くらいです.

それほどの思いで患者さんと向き合ってこられたのかと思うと,胸に迫るものがあります.

 いえ,でも,それを見せてもらったからこそ,闇雲ではなく,きちんとバランスを考えた看護の有益性を学べました.たとえば足がむくんで水が溜まっている状態の患者さんを見ても,あまり注目されないことも多いのではないかと思いますが,私はその方のお腹のきれいな様子を通して教えていただいた,という感じがします.

 もともと私は,昭和から平成に移る頃に訪問看護の世界に入ったのですが,そのきっかけは,2つ上の姉を41歳で亡くしたことでした.

 原発不明の末期がんで,肝臓に一気にがんが広がり,余命1か月と言われました.病院に入院しましたが,本人の「家に帰りたい」という希望で,在宅医療を始めました.4か月半,家で看て,その後口腔内の出血が出たので病院に戻り,3週間後に亡くなりました.

 その姉も病理解剖をしました.がんの大半は肝臓に限局していて,原発巣は大腸の,ごく小さな病巣でした.

 そのとき,姉を診てくれた訪問診療の先生たちと連絡をとり,家で中心静脈栄養をするなど,当時の最先端のケアを経験しました.それを踏まえて,1992年に東京に引っ越して,姉の主治医だったグループと共に,訪問看護を始めたのです.

 訪問看護精度が始まる前のことでした.

 家族ががんで亡くなったこと,その看病を元に,これからは家で過ごしたい人が増えるに違いない,と思いました.そのニーズに応えるために訪問看護師になったのです.

<「隙間に落ちること」をケアする>

―――病理解剖の風景を秋山さんがご覧になっていたこと,その一連が訪問看護師への道にもつながっていたということに驚いています.そういう角度からも患者さんと深い関係を築かれていたのだなあと.

 そうですね.病理解剖を看護師から頼むことはありませんが,主治医との関係が非常に厚い中で,患者さん御本人やご家族に許諾を得ます.

 ご家族に寄り添いながら承諾を得たとしても,ご遺体の移送中や解剖を待っている時間,やはりいろいろな思いがありますので,隣りに座って,これまでのお話をすることもあります.遺族ケアはそこから始まっている感じですね.解剖室の前で待つ間,ご家族へ配慮することも看護の仕事かなと思います.

―――遺族の方のことを「残された方々」などとたまに言いますが,患者が亡くなった直後,まさに「残され始めた時間」に,他者がどう関わるかというのは,なかなかコントロールできないと思います.ただ,解剖があると,その時間が否応なくクローズアップされるようにも思います.

これまで自分が施行してきた解剖でも,主治医だけでなく,後ろにご家族が控えていらっしゃることは何度かありました.ある解剖が終わったあとに,待合室に誰もいらっしゃらなくて,研修医などと一緒にご家族を探して回ると,病院内のコンビニのそばにある椅子にぽつんと座っていらっしゃった,ということがありました.そのことが思い出されます.

待っていらっしゃった方々に,我々は果たしてどれだけ言葉をかけてきただろうかと…….

 東京には監察医務院がありますね.患者さんがご自宅で亡くなられたあと,検死になる場合にはまず病院に運ばれますが,そこで死亡診断が出される場合と,監察医務院で死因追求される場合とがあります.そのときも,訪問看護師に付き添いの義務はないのですが,待っているご家族にもいろいろ思いがあると思います.ケアをする者として,言葉は多くなくても,とにかく横に座りながら,ご家族の看病の日々や,亡くなった方の人生を振り返って,お話しします.

 決して悲しいだけではなくて,「こんなことがあって楽しかったわよね」と.

 担当の看護師は次の訪問があるので,なかなかそこまではできませんが,管理の立場で,時間に余裕がある私はそういうことができました.大塚にある監察医務院まで,ご家族と一緒に行ったケースもありますし,警察署で立ち会うこともありました.

 そういう「隙間に落ちること」をケアすることで,結果として家族のケアにつながる.

――隙間ですか.

手術を待っている家族のケアも同じですね.不安に思いながら手術を何時間も待っていて,終わりかけに呼ばれて説明を受けても,よくわからなかったり,直視できなかったり,すごくショックを受けたりする.だから,病院内の看護だけでなく,在宅にいる方がいろんな症状で運ばれて手術になる,という継続した流れの中で,横についていたほうがいいかな……と思うときがある.そういう隙間を拾っていく感じです.

――隙間を探すということは……全体に水を張ってチェックするといいますか,くまなく張っているからこそ,隙間を鋭敏に見つけてそこに落ちていけるのかな,と思います.広い面積の中で,どこに隙間があるかはわからないのだけれど,一通り水を張っているからこそすぐに気付ける.秋山さんの「張り方」はすごいですね.

<物語のようでした>

 大学病院を退院してから訪問看護が入ったケースがありました.高齢の方でしたが,まだ主治医が在宅医としっかりつながっていない間に,循環器や呼吸器など複合的な疾患によって状態が悪化し,3日目くらいには急変してしまいました.結局,元の大学病院に運ばれ,亡くなってしまいました.来院24時間以内の死亡だったので死亡診断書が出せず,警察が立ち会うことになり,私は現場検証にも付き添って,ご家族をフォローしました.

 結果は誤嚥性肺炎だったと思います.「早く在宅医に診てもらっていたら……」と反省しました.

 それから20年くらい経ってからのことです.かつて亡くなった方の近くで,苦労されたお嫁さんの方が,今度はがんで入院されたのです.「家に帰りたい」と訪問看護の依頼があり,私が指名されました.

 私は管理者の立場で,一線を退いていたのですが,その方が私に会いたがっていると聞き,会いに行きました.すると,私の記事などをチェックして,あれからずっと応援してくださっていた,と.今回の訪問看護を選ぶにあたっても,「秋山のいるステーションに」と,強く主張してくださったそうです.

 彼女はフルーツパーラーを切り盛りしていました.最後に会いに行ったとき,状態は悪かったのですが,「おすすめのメニューは何ですか?」と尋ねました.しばらく黙っておられたので,お休みになったかと思ったら,急にはっきりした声で,

 「愛嬌!」

と言ったのです.いろんなメニューがあるけれど,一番のおすすめは愛嬌.私も,担当の看護師も,思わず笑ってしまいました.

 それはたぶん,私ではなく,娘さんに伝えたくて,大きな声で言われたのだと思います.

 さかのぼれば,あのとき,監察医務院で死亡診断が出ないことにご家族が戸惑ったとき,ひたすら横にいて,いろいろ聞いていました.そのときの出来事をずっと覚えていてくださって,自分ががんの終末期になったときに思い出してくれた.そして,最後に「愛嬌」という素晴らしい答えが返ってきた.物語のようでした.

――その方は,ずっと覚えていらっしゃったんですね.

単発の訪問看護でお会いした方がいたとして,あとで似たような状況が起こると,私たちのグループに再度相談が入って,「こういう状況だけれど,訪問看護をお願いしたい」というふうに,つながっていくものです.がんの方も,がん以外の方も,最後のところを誰に手伝ってもらいたいかといったときに,最初の経験が活きて,看取りの文化が語り継がれていく.そういう地域が増えてほしいと願っています.

 亡くなる方の数はどんどん増えていきますが,看取る人がいないですね.在宅や施設での看取りも増えてはいますが,急性期の状態を診ている医療者が,その先の,「川下」を想像できないということが増えているように感じます.

 「家に帰りたい」と言われても,「無理でしょ」とあっさり.じゃあどこを探せばいいのか,という話になります.それが残念です.

――患者さんだけでなく,ご家族,次の世代の方々など,たくさんの方をご覧になっていらっしゃるんですね.病気のこと,水分のイン・アウトバランスみたいな話から,残された方の物語までをご覧になっている.非常に広いなあと思います.

<その人の文化を理解した上で>

―――いやな聞き方になってしまうかもしれませんが.これからの時代,どのような「死に方」が望ましいのでしょうか.

 がんであっても,老衰のように亡くなっていくのが理想かなとは思いますが,若い方のがんであるとか,がんの種別によってはそうもいかないことが多いようです.

ともあれ,機器に囲まれるようなことなく,必要最低限の医療処置で,自分の思いをきちんと他の人に伝えられる状態でケアを受けられると良いと思います.そのためには,一番の苦痛である痛みは十分に取り除かなければいけない.

もともと家にいる人が病気になって,外来や入院を繰り返しながら最後の時を迎える,という予測がつく状態だと,最後は家で過ごしたいと思われる方はたくさんいます.ただ,家族背景などが変わってきており,24時間誰かがいる施設を選ぶ方もいらっしゃいます.

施設の場合も,決して「医療漬け」にはしないで,その人らしい生活を尊重する.ちゃんと飲めて,食べられて,消化したものが出せるということですね.お口がいつもカピカピで,喋れない状態で,ベッドに寝かされている人をよく見ますが,そうではなく,口腔ケアが整っていて話せる,表現できる,そういう日常を支援したいと思っています.

そのようなケアができた上で,症状緩和が付けばいいと思います.でも,症状緩和だけに目が行きがちですね.

 先日,ある立派なホスピス病棟に入院している方のお見舞いに行きました.脳転移で左半身に麻痺があり,右手しか効かない.右側のベッド柵の横に,ストロー付きのコップが置いてあるのですが,30度くらいのファウラー位(半座位)だと,コップを手にとって飲むときにストローが落ちてしまう.ナースコールで呼んだところ,夜勤の看護師から,「しょっちゅう落とすから,もうあまり呼ばないで」と言われたそうです.でも,呼ぶのはその人のニーズがあるからです.

 右手しか使えないなら,赤ちゃん用のマグカップのようなものをベッド柵に吊り下げるなどして,飲めるように工夫をしなければいけない.夜中に口が渇いて水分を採りたいというのは日常の一部ですよね.その人が不便と感じることを補充して,あるいは全部やってあげるとかではなく,自分でやれるものを用意するというのが基本だと思います.そういうケアをしながら,おくすりの調整をする,それが看護の視点です.

 「その人らしさ」とは文化です.その人の文化を理解した上で,何をしたいか,何を気にしているのかを,想像することができていない.天下のPCU(緩和ケアユニット)でこれか,と少しショックでした.

―――人の文化に学び,それを活かしていかないといけない.

<訪問看護からマギーズへ>

2006年,2007年頃,いろいろな改革が始まろうとしていました.TPC(チーム・ピア・カウンセリング)の導入などですね.

その頃から,がんの診断・治療は外来中心になってきました.外来に通っている間,生活上の困りごとはたくさんあるはずなのですが,病院では病気のことしか聞かれないですよね.看護師に相談するという発想もない.家族が3人がかりで外来に連れて行って,病気の話だけして終わっています.

最終的に,効果のある抗がん剤がなくなった段階で,「あとは緩和で」と言われても,本人も家族もすぐには受け入れられません.緩和病棟の面接の予約をしたり,順番待ちをしたりする間に,残された時間は本当に少なくなってしまいます.

 それならば,在宅医療を早めに導入して,専門医とかかりつけ医の「2人主治医制」で診ることができれば,もう少しQOLが上がるのではないか.

―――なるほど.

 なにかできないだろうかと思っているとき,2008年11月に国際看護セミナーがあり,イギリスからマギーズセンターのセンター長がやってきて,活動を紹介してくれました.私はそのとき,スピーカーの一人として,在宅でのケアや家族支援の話をするために参加していたのですが,センター長の話に魅了されて,数カ月後にイギリスを訪ねたのです.これは本物だ,と.

 大事なのは,マギーさんという乳がんの当事者が,「自分を尊重された空間でゆっくり話を聞いてもらえた」ことなんです.問題の整理をしながら,進みべき道を見いだせる.そういう「聞く場所」がきちんとしていないといけない.そういう場所をつくりましょう,ということでした.

 これは日本にも必要だ,と思いました.しかし建物を建てるお金がない.そう思っていた2011年に,厚生労働省が在宅医療介護連携拠点事業の募集を始めて,手を上げたところ採択されました.この事業費で,「暮らしの保健室」をはじめました.

 マギーズセンターのミニチュア版を目指し,木をふんだんに使ったテーブルやキッチン,個室があって,予約無しでゆったりと話を聞ける環境を整えました.人が集まり,日常生活の話をしながら,医療のかかり方などの相談に乗る.

 こうしたことを実験的に始めました.

 2年間は国のモデル事業,その後3年間は都の事業助成を受けて,その後は新宿区からのがんの療養相談事業を受託して,「暮らしの保健室」は続いています.

 2014年に,日テレの記者であった鈴木美穂が取材に来ました.彼女も,国際患者の集いでマギーズセンターの話を聞き,家族が集まれる場所がほしいと思っていたそうです.マギーズセンターのホームページを見ると,建築も庭も素晴らしく,著名な建築家がチャリティーでデザインしていました.それらは寄付で成り立っていたのです.

 鈴木は「暮らしの保健室」を気に入ってくれました.がんの当事者でもあった彼女と,ケアをする側であり,がん家族の経験もある私が一緒にやることで,新しいものが生まれるのでは,ということになりました.

 ちょうどその頃,土地を安く貸してもらえるなど,いろいろ良い条件が重なりました.クラウドファンディングでお金を集め,建物は……もらい物で建てました.林野庁のモデル事業で,国産材を使ったモデルハウスを新木場の駅前に3か月展示したものを,移築したのです.私たちの仲間の建築担当者が,最初から移築を前提として設計をしてくれました.

―――ここ,とてもいい木の香りがしますね.

 材料が良いんですよね.

 マギーズの建築要件というのが10項目くらいありまして,その中に,全体で280平米という規定があります.これは,イギリスの一般家庭の広さです.日本の基準からすると広く感じますが,「病院と家の中間にある第2の我が家」なんだそうです.

―――マギーズの資料には,よく間取り図がついてきますね.建築を大事にされているのだなということを思います.

  じつは,マギーさんのご主人は著名な建築家・建築評論家で,マギーさん自身は造園家でした.マギーズ東京も,中庭に芝生を植え,いろんな植物も植えて,2つの建物の両側から中の様子が見えるようになっています.広さは合計で110平米と82平米で,基準よりは少し小さいですね.次は280平米を確保できればなと思っています.

 ここの土地は,借りている条件が「5年間」でした.オリンピック・パラリンピックの延期などに伴い,地区の再開発が遅れて今まで残せていましたが,いよいよタイムリミットです.がん研有明病院と国立がん研究センター中央病院の真ん中あたりにある現在の地の利を得られるよう,できれば江東区内で次を考えたいと模索中ですが,なかなか苦労しています.

<相談するという行動を起こしていいんだよ>

―――マギーズ東京の代表としての秋山さんと,その前の,訪問看護師としての秋山さんとは,本当にシームレスにつながっているのだなということがよくわかりました.

 マギーズ東京は,医療保険や介護保険とは離れた,チャリティーで運営していますので,精度の隙間に落ちています.どんな方の相談にも応じながら,がんと診断された直後の思いなどを吐き出してもらっています.

―――今日は最初にも「隙間」のお話をされていて,私はそこで「広く水を張っているから隙間にも気付ける」というようなことを述べたのですが…….たとえば,医療者の行う外来と外来の間が全部「隙間」と考えると,患者の日常の中で医療者が関われる場所のほうが少ないですね.隙間の方が多い.

 外来の診療は,時間が限られますね.患者側も,「この主治医に聞いても答えは出ないな」と感じて,生活や仕事のことは話さないことが多いんです.でも,じつは,毎日の暮らしの中ではそこが一番引っかかっている.現代は,がんと共に生きる時間が本当に長くなっていますからなおさらですね.

 抗がん剤の副作用で爪にダメージが出てきている方がいらっしゃいました.医師とのやりとりは,「お気をつけて」くらいで終わってしまうのですが,その方はピアニストでした.仕事が2年もできず,練習もできないわけです.「その人らしく生きる」ためにはピアノの練習が不可欠なのに,その道が絶たれてしまっていた.本当は,爪を保護する特殊なマニキュアのようなものがあるのです.でもそこにつなげてもらえず,すごく苦労されていました.

―――うーん,私自身,果たして患者のそういう困りごとに気づけるかと言われたら難しいのかなとも思うのですが,しかし,病院とか医療現場が患者の暮らしに行き届かないのはいやですね.それも,先程のお話にもありましたが,超有名なPCUでも問題があったり,かたや施設でもうまくいっていなかったりします.

 患者さんには,「なにか困り事があったら,相談するという行動を起こしていいんだ」ということを,最初から伝えておくのがいいですよね.医療の話を聞いたあと,頭が真っ白になって家に帰り,ほっとしてからネットで情報を探す,というパターンが多いです.その前に,たくさんの情報があるんだよということをまず伝えてあげたい.

 対がん協会なども24時間電話相談をはじめていて,相談の窓口は増えているのですが,そこにたどり着くまでに時間がかかっています.

―――看護師,ソーシャルワーカー,医者など,よく頑張っている人も多いと思うのですが,聞こえてくるのは「相談相手に出会わなかった」という話ばかりです.

 まず,大きな病院の外来だと,すぐに関係がうまくいくわけではないので,かかりつけ医が専門医につなぐパターンが良いと思います.「がんのことは専門の先生に任せるけど,なにか困りごとがあったらいつでも相談に来ていいよ」と言ってくれるかかりつけ医がいるといいですね.

 現状,2人主治医制はなかなか機能していませんが,日常生活のことも含めて診てくれる先生が相談役になってくれると,地域の中ではうまく動くかなと思います.

―――「診療報酬」という言葉が頭にちらつきます.

 かかりつけ医をマイナンバーカードに紐づけして登録するような誘導もされていますね.

―――電子カルテの共有,なども今後は進んでいくのでしょうか.大きな病院で十分な説明を受けられなかったとしても,かかりつけ医であらためて説明してもらえるシステムが機能するといいですね.

<患者が自分の力を取り戻す>

 今,「もの言う患者さん」が増えてきていますが,その言い方が戦闘モードだと,医療者側もつらいものがありますよね.

―――そうですよねえ.

 対話ができるコミュニケーションが互いに必要です.「暮らしの保健室」にも,たくさん話たい,表現したい人がいらっしゃいます.時間をかけて話を聞き,もつれた糸をほぐしていくと,少しすっきりする.次の診察で主治医に何を聞けばいいかすっきりする.そうすると,ご本人の考える力が増し,次のステップを自分で歩いていけるようになります.

―――なるほど,患者本人の力が増す.

 それがマギーズ流の聞き方です.サポートではあるんですが,最終的には「自分の力を取り戻す」とマギーさんが言っています.答えを全部教えるスタイルではないのです.

 マギーズ東京の5周年の際に,イギリスのマギーズセンターCEOのローラさんと対談しました.ローラさんはマギーさんのアイディアを受け継ぎ,ご主人のジェンクスさんたちと青写真を書いて,マギーさんが亡くなった1年後にエジンバラでパイロットスタートしたそうです.「医療の様子が変わり,がんと共に歩む時間が長くなる中で,患者と医療者との接点が短くなってしまうため,ますますニーズは高くなった」と言っていました.

 2000年頃から,医師が提示した治療方針を,患者が自分で決めて答えを出さなければいけない状況になりました.でも患者側はそれに慣れていません.だから,横にいて少し手伝う人がいるのです.

 治療に対して十分な説明をするのが医師の義務です.しかし,立て板に水のごとく話されると,患者さんの顔が固まっていることがありますね.そこで一度止めて,「なにか質問はありますか?」と聞けばいいのに,最後まで行ってしまう.固まった時点で頭は真っ白になっていて,後のことは聞こえていないのではないでしょうか.

 説明責任があるから説明はされる.副作用についても,軽いものまで一律に説明されます.でも,製薬会社の作ったパンフレットを渡されても,どこから聞いていいかわからない.先のピアニストの方のように,仕事ができない日常生活の困りごとまでは,話が及びません.

 ―――それをシェアード・ディシジョン・メイキングだと言われても,何をシェアしたのか,という話になってしまいますね.

 聞かれていないから答えない,話していないから伝わらない.「そんな話は質問にありませんでした」.医師側と患者側,それぞれに合わせた説明の仕方があるし,患者のほうもどう聞いたらいいか,もう少し工夫をしたらいいです.つまり,「患者力」を身につけることが必要です.

 ―――医療者側だけではなく.

 共同作業で診療を進めていく,というのが今の流れです.ご年配の先生の世代では,「医者に任せとけ」というタイプが多かったですが,それもだいぶ少なくなってきました.共同作業をしていく上でお互いに理解し合えるような,対話のコミュニケーション能力が大事なのではないでしょうか.

 ―――その力を涵養するのがマギーズ流,ということなのですね.

<公的なつながりも>

「暮らしの保健室」は,がん以外の病気にも対応したよろず相談所です.商標登録もしていないので,今は全国に80,90,数え切れないほど広がっています.

 一方,がん相談に携わる方々には,マギーズ流サポートのエッセンスを伝えるため,毎年12月に研修を行っています.修了者は400名を超えました.その人たちが地域で核となって,神戸や広島などでマギーズセンターを作りたいと,運動を始めています.

―――それは楽しみです.

 質を担保して,基本コンセプトを理解した上で,マギーズの取り組みが広がっていくことは歓迎されています.イギリスに本部があるマギーズセンターに正式な活動として認められるためには,イギリスとのやりとりが必要ですので,日本での普及はマギーズ東京を通して行うことになっています.

 ただ,イギリスではすべてがチャリティーで行われています.この10年は,毎年6,000万円くらいの事業費を寄付で集めているんですね.企業からの献金もありますが,遺贈やチャリティーコンサートなど,チャリティーの文化が育っています.同じことを日本でやるというのは,なかなか厳しいものがあります.

―――東京で秋山さんほどの方が熱心に行われているならばともかく,地域で新たに立ち上げるというのは,なかなか厳しそうです.

実際に相談にあたる専門職を雇用するので,人件費が一番大きいですね.

神戸のグループは,公的な土地がある程度確保できそう,ということでした.ある病院の横の公園の土地が使えるかもしれない,というアイディアがあるそうです.その病院は,小児がんの治療ができる施設として移築されており,一角が最新の治療設備の整ったメディカルトリートメントゾーンとなっています.

行政とのコラボレーションというやり方ですね.県議会の方が応援してくれるなど,公的なところとのつながりもあるようです.

 ―――行政の方にも目配りが必要なのですね.それをたとえば一人の医療者が,行政と二人三脚で……というのは,かなり大変そうだなと思います.

 札幌南徳洲会病院の前野先生は,以前にここを見に来て,自分の病院を作る際に病院横の小さなスペースで患者と相談できるようにしたい,などと話していましたね.

<地域も一緒にわからないと理解が進まない>

―――最後にお伺いします.医療系の学生や,働き始めて2,3年目くらいの若い医療者に,どんなことを勉強してほしいと思われますか?

 医学・医療はもちろんしっかり学んでほしいですが,その地域で今,多職種がどのように活動しているのかを知ってほしいですね.専門職だけでなく,インフォーマルなグループも合わせて,マップを作るように地域を理解してほしいです.人口,高齢化率,死亡率のようなデータだけでなく,生きた地域の情報に関心を持って,フィールドワークをしてもらいたいですね.

 そのときは,他人事ではなく自分事として.自分が暮らす地域で,自分が病気になったらサポートしてくれるだろうか,死にそうなときはどうなるだろうか,と.そうやって地域を捉えるということを,一度してみてほしいです.

―――なるほど…….

 看護学のコアカリキュラムの中には,「地域在宅看護論」が入っています.在宅にいる人を理解するには,地域も一緒にわからないと,十分な理解が進まないということなんですね.

 なので,「暮らしの保健室」やマギーズ東京は,実習場所としてたくさんの学校から狙われているんですよ(笑).

―――私の大学の後輩に西智弘というのがいて,川崎くんだりでがんばっているんですが,彼もまた,「地域のことを知り尽くした看護師が大活躍している」と言っていたように思います.

 川崎では,地主さんが大きなマンションを建ててしまって街が変わってしまわないように,小さな区画でいろんなことができる街にしよう,とか,地域住民が自由に使えるプロジェクターがある部屋を作ろう,とか,そういう土台づくりもやられているようですね.

―――かくいう私自身も,もっと自分の暮らす北海道のことを気にしてみようかなと思います.

 鹿追町の松山さんという方のところは,日本財団の建築プロジェクトに応募して,事業費をもらって,「暮らしの保健室」的な要素を含んだレンガの家を建てていました.それも地域活動ですね.

 札幌でいうと,札幌保健医療大学の川口さんという管理栄養士の方が,「暮らしの保健室」をはじめるところですよ.

―――あちこちに広く目配りされていて,本当にすばらしいですね.感動します.

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