おいでよ臓物の森

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あまり真剣に学生や研修医を勧誘したことがない。学会の会場はもちろんだが懇親会でいっしょになるようなある程度距離の近い若者たちにも、「病理においでよ」と声をかけることはほとんどない。どこにいたって私たちはけっきょく病院の中やら外やらでなんとなくうすーく紐帯を形成する仲間たちだ。現在、病理と縁があって私のそばでうろちょろしている若者たちも、多くはいずれ臨床に出ていったり基礎研究に飛び込んだりする。そういった人たちに「病理が一番だよ」などと強めに勧誘すると、おそらく一部の人には響く。それで一時的に病理診断の世界が盛り上がる。でも、なんというか、私は、医学生や研修医に対しては、どこにいてもいいよ、それぞれの持ち場でがんばっていこうぜ、くらいのことまでしか言えない。そこまででいいんじゃないのかなという漠然とした思いがある。

なにせこの仕事はしんどい。ほかの仕事と同じくらいには。「おいでよ、いいことがあるよ」なんて軽々しく言えない。内科だって外科だってそうだろう。楽しいこともあるかもしれないが辛いことがそれの何倍もある。それに気づかないふりをして「ぜひおいでよ。後悔しないよ」とは、ちょっと言えない。

まあ、そういう言い訳である。ほかにも言い訳はいくつかある。ともあれ、私は、あまり、若い人の将来に対して自分のセリフがなにがしかの調整をかけてしまうことを良しとは思わない。

あれもこれもと忙しく診断をした。たくさんやることがあった。そろそろ夕方。今日のうちに診断しておかなければいけないものはすべて診断し終わった。これでやめてもいいが、せっかくだから、今出来上がってきたばかりの標本にざっと目を通す。追加の特殊染色や免疫染色が必要なものには今日のうちに追加染色のオーダーを出してしまう。そうすれば明日の診断が少しだけ早くなる。病理診断は必ずしも急がなければいけないわけではなく、患者の退院までに結果が出ればいいというパターンはままある。だからそんなにせかせかしなくてもいい。しかし、ま、早く診断して悪いことはないと思う。仕上がっている標本を早め・早めに見ておくことに意味はあるだろう。もっとも、あまりに早め・早めに働いていると、ワークライフバランスを気にする若手にはだいぶいやがられる。別に真似をしてほしいとまでは思っていない。これはもう趣味みたいなものだ。ほうっておいてほしい。

さっき仕上がったばかりのプレパラートの1枚を顕微鏡にセットして、明日の診断のリハーサル的にさっと見る。2秒も経たないうちに、とある薬剤の「副作用」を意味する所見が目に飛び込んできた。私は目をうたがい、何度も何度もその所見を確認して、これは間違いないと判断し、すぐにたくさんの臨床医に電話をかけた。その所見が意味するところは「ある薬をこれ以上飲ませてはいけない」ということだった。

もうれつな勢いで電話をかけまくり、実際に医局や外来に赴いて関係各位と相談をしながら、「なぜこのような副作用が起こったのか」を考えた。どうもこれは今まであまり報告されていないパターンの問題ではないかという暫定的な結論が出る。しかし確定するのはまだ早い。私はまだ、この症例の病理診断を始めてもいない。この検体に何が起こっているのかを丁寧に読み解いてみんなと共有する試みははじまったばかりだ。たくさんやることがある。明日も忙しくなるだろう。こういう日のこと。こういう時間のこと。夕方から夜にかけてのこういう空気。こういう雰囲気。こういうデスク。ひとり猛然と取り組んでいるこういう仕事。まさにこういう瞬間において、「病理においでよ」と言いたくなることがある。でも、この患者のことを考え、学術のことを考えているうちに、気持ちはだんだん錯綜していく。どこにいても患者のためになるならいいのだ。

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