24|22
ずいぶん前のことになるが、ある学会のセッションで、「インターネットは教育によくないので子どもにはやらせていない」という医者が、持論を展開した。そのセッションは、学会の広報や教育にかんするもので、「Zoomというオンラインツールを使いながらインターネットを否定する演者」というのがいかにも滑稽で、(演者の一人であった)私はつい笑ってしまったし、ほかの演者もちょっとそれは筋が悪すぎないかなと感じていたようである。結局、その人を私達が軽く扱いすぎて、というか、それはいくらなんでも無理筋でしょうという態度をとってしまって、その人はさらにヒートアップして破綻した。後日、セッションはオンデマンドでの公開不可(※演者の希望により)となった。
そのときのことを今になって思い出す。
私は、あの演者に対してあまりやさしい態度をとれなかったなと思う。あそこで共感はせずとも一定の理解を示していれば、相手はまだ意見を変えられるだけのやわらかい状態でとどまっていられたのではなかろうか。
医療情報うんぬんを語るにあたって、たとえ医療者同士=身内相手の場だったとしても、私はあのとき「あまりよくないやりかた」を選んでしまっていたのではないか。それは「やさしさ」を欠いた行為だったのではないか。
上から目線で「かわいそうな人にやさしくしてあげればよかった」という意味で言っているのではない。そうではない。
「意見は違っても人としては対等であるための、最低限のやさしさ」というものが、あのときの私には、まったく足りていなかったのではないか。